フィンランドグラスアート

東京都庭園美術館に行きグラスアートを観た.
この美術館に訪れること自体が初めてだったからか展示物よりも展示方法に衝撃を受けた.
いや少しでも調べたら以前は皇族が住んでいた家だったとわかったのだろうが,今回については何も情報を入れなかったことが功を奏したように思える.

建築

浴室

観覧の中でどうにも頭にこびりついて離れなかったのが浴室だった.そこにはタピオ・ヴィルッカラのプリマヴェーラという火を感じる作品が置かれていたのだが,それ以上に美しく硬くも温かい水回りに驚いた.緑まじりの壁の上部を白くして圧迫感を解消したり,角を中心にした放射状の模様を描く石を浴室に使ったり,浴槽の3方を壁から離したり,現在ではみない曲線の便座だったり,すりガラスでなかったら入浴しながら青空を仰ぎ見られるのかなとか思ったり.
現代の日本でトイレと風呂が一緒になっていると嫌がられるわけだが,問題は一緒になっていることではなく狭いことだろう(家自体が狭いから仕方なく一緒にしているのだから,この議論は仕方がないのかもしれないが).

新館

東京都庭園美術館の美術館の部分をすべて新館に託していて,新館への連絡通路を通って初めて美術館を感じた.新館には入ると売店と広い展示スペースがありいかにもな美術館なのだが,本館は皇族の邸だっただけあって博物館の様相なわけだ.そんなことを思いながら中庭の横の連絡通路を歩いていると私の方にカラスが飛んできた.目黒のカラスはなんだか艷やかに見えた.

展示

照明

かなり影に気を使って照明が設置されており,薄く色彩豊かなガラスが綺麗で印象的だった.カイ・フランクのアートグラス、ユニークピースなどはわかりやすいだろう.
ただ一部分かなり上から光を当てていて影が見にくい展示があったのが残念だった.グンネル・ニューマンのボウルという気泡がたくさん入った薄い緑の皿は外に広がるに連れて透明度がマシているが,光を真上から当てているため,濃い緑の部分の影がみられない.影が主体の展示ではないのだろうからこの指摘もどうかとは思うが.

dobble vase

作品名のメモを忘れていたが,Tapio Wirkkala dobble vaseで検索をすると似たものがたくさん出てくる.この作品がかなり好きだ.何が良いとかでは無くて単純接触効果なのだとは思うが.pz軌道の図にも思えるし重力や電磁気力のシミュレーションでもみたことがある気がする.好きなのだが,展示ではガラス棚に入れられていて上からみられないのが少し残念だった.画像検索の結果をみてもやはり口の方からもみてみたいなと感じるわけだ.

マルック・サロ

かなり衝撃的だった.これまで綺麗な曲線に透き通るガラスをみていたのに,いきなりガチガチな金網で拘束されたものがでてきたのだから.この画像に話したいことの殆どが詰まっている.まず真ん中の白い作品を観ては面白みが無いなと感じたわけだが,左の作品で金網の価値に少しだけ気づくことができた.ガラスの曲線美と金網の直線的な側面,もしくは非晶質たる乱雑さと格子状の規則正しさの対比は純粋に面白い.何か皮肉を込めているとか何らかの体制を批判しているとかも思ったが,多分そうでもなくて単純に面白くて美しくて行っているような気がした(真意はわからないが).さて最も好きだったのは右の青い作品で,この写真からはわからないが影が良かった.恐らく金網をつけてからガラスを膨らませて,その後に金網を取ったのだろうと思うが,おかげで透明なガラスに格子模様がついている.その模様と造形の曲線のにより色数を少なくしつつもグラデーションを表現するドット絵のようにみえるわけだ.(そういえばドット絵でガラスを表現している@16pxlの作品も好きだったな.)こういう現実に潜む離散的なものをみると嬉しくなってしまう.

帰路

いいものを観られたなと高揚したまま庭園を一周して帰る.目黒の街並みは綺麗で歩いている人たちにもどことなく余裕があり心地よく駅まで歩いた.そんな上機嫌のまま駅に入ると当然の満員電車で余韻もなにもなくなってしまった.東京と地方で文化資本の差が...という意見にも賛同するが,満員電車に乗った時点で私への文化の浸透は初期化されるんじゃないかとさえ思ってしまう.
しかもそんな車内で大学生が「落単した!」と会話していたのも少し嫌だった.最初は「落胆した!」かなと思い久米田康治的な人だななんて破顔しつつあったが会話を盗み聞くうちに単位を落としたとわかり,私が落胆した.つまらない会話に耐えてよく頑張った.

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