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「助けられることはある」と信じていける 映画『夜明けのすべて』感想

誰かを「助ける」だなんて、エゴなんじゃないかと思ってた。そんな簡単に人は救われないし、助けてもあげられない。

けど、「助けられることはある」ということ、私は映画『夜明けのすべて』に教えてもらった。

20代、私は誰かを助けることに必死だった記憶がある。上司にいびられる後輩の味方になったり、悩んでいる同僚の話を聞いたり、仕事が忙しくてしんどいという人のために楽になれそうな仕組みを作ったり。それは、より多くの人が楽になってほしい、救われてほしいという思いから動いてきたことだった。

だけど途中で気づいたのだ。そう簡単に人は救われないと。

後輩は心を病んで仕事を辞めたし、悩んでいる同僚はずっと悩んでいたし、楽になれそうな仕組みは使われなかった。誰かを救うだなんて、エゴなんだと思った。簡単に人は救えない。だったら深く手出しはしない方がいい、と。人の悩みもサラッと聞いて、真剣なアドバイスはしないで、その場限りの補助をする。人間関係ってそういうもんなんだよな、と勝手に悟りを開いていた。

けど「助けられることはある」と、この映画は語りかける。

PMSを抱える藤沢さん、パニック障害を抱える山添くん。はじめは「え、PMSってパニック障害よりつらいものなんですか?」という雰囲気だった山添くんも、知ることによって徐々に助ける姿勢へと変わっていく。助け合うことで硬かった山添くんの顔も柔らかくなる(会社にお土産を買って帰ってきた山添くんを見て泣いてしまった)。藤沢さんも、山添くんも、最後は自分の意志で一歩を踏み出す。
助け合う姿も、はじめはちょっと強引なところもあったけど、徐々に適切な距離感を確立していく。救う側、救われる側、と上下関係は発生しない。ただただフラットな関係性。”誰かを助ける自分”をアイデンティティとしていない。

これが、2人と私の大きな違いだった。

私は相手のことを理解しようとしたか。救っている自分に優越感を抱いていなかったか。救うことで救われようとしなかったか。
救うことがエゴなんじゃなくて、私の行動そのものがエゴだったのだ。誰かを救うことで自分を満たしたいだけの行動だった。

今なら、この言葉を信じられる。

「助けられることはある」

きっとこれからの人生、この言葉を思い出しては勇気をもらうんだと思う。私も、誰かを助けられる。そして、誰かに助けてもらうんだろう、と。

松村北斗ファンから一言いいですか?

改めて見たら北斗くん本当にクールな顔立ちしてて、笑わなかったらこの人やっぱちょっと怖い印象ついちゃうんだなって気がついた。普段の北斗くんは笑顔が多いので、改めての気づき。ただだからこそ表情が柔らかくなっていく過程が本当にわかりやすくて、おあ~~~ってなってしまった。
北斗くんってちょっと滑舌が甘いな~と思うことがあるんだけど、それがなんか彼の味というか、ちょっと舌足らずっぽいところが情けなさを醸し出していて、キリエのうたといい、情けない男を演じさせたらNo.1なのでは?いや山添くんは情けなくはないんだけどさ。
髪を切るシーンなんて、ただの松村北斗でしたね???あのコロコロカラカラ笑う北斗くんがかわいいのなんの。萌音ちゃんありがとう。
あと萌音ちゃんがお菓子を袋からがさーって口に入れるシーン大好き。ほくもね推せる。バリ推し。

全然一言じゃなかった。

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