日記(2021/11/18) ANN0の感想 #まじ日

Creepy NutsのANN0を聞いた。先日のマツコ会議の解説が話されていたからだ。

やっぱり編集からこぼれ落ちたものは多かったようで、ミソジニーの肯定をすべきというのではなく、バッドな倫理観を孕んだHIP HOPが好きな自分の自己矛盾について話したということだった。そんなことだろうなと思ったのは、私はこの番組以外にも連載を読んだり話しているのを聞いたり友達の朝井リョウのことを観察したりして、なんとなくDJ松永のことを知っているからである。あの松永がそんなこと言うかなあ?となんとなく思ったからである。番組の話の流れにちょっと違和感があったというのももちろんあるが、それより松永既知であったことの方が大きい。

なんにせよ、あの番組で何かを共感したり反発したりしなくてよかった。何が言いたいかよくわからんという感想は”正解”だったように思う。

結局、番組内でマツコが指摘していたテレビの良くないところを、メタ的に強化する作りになっていたのが、残念というか、やっぱりなというか。いまのテレビの限界が裏付けされただけだったんだなと思うと、ちょっとバカバカしい。テレビが、文脈よりインパクトを重視し、編集のために機微を切り捨てたり、人を傷つけたりしてもいいんだという価値観でいるうちは、ドキュメンタリーとか心情吐露なんかはしない方がいいと思う。それこそ、悪手。

松永はスタッフに気を使ってんのかなんなのか、「あの番組を見たらミソジニーを肯定しているように受け取れることもなくもない」といっていたが、ちょっと甘いというか、普通に、ミソジニー肯定してるように見えるよ、と思った。そう思ったのは確実に編集のせいで、受け取った視聴者の責任ではないと私は思う。あくまでも誤解であったのであれば(実際そうなんだろうけど)、誤解を生じさせたテレビ側に抗議をすべきで、誤解した視聴者には落ち度はないはず。

私が観察している限りは、あの番組内に出てきた、各々が普段考えていたり気にしていたりするキーワードに、それぞれ反応しているだけで、つまりここで言われているのはなんなのか?という話をしている人はあんまりいなそうだった。そりゃ、わかるような編集になってないからね。で、その中の、ミソジニーに関しては、当事者にとっては、単なる炎上ではなく、差別に対しての抗議なので、いっそう強い言葉になるのだろう。「決めつけで叩くのは良くない」という批判は、ただのトーンポリシングにすぎないんだよなぁとも思った。自戒も込められていたし、ここを責めていくのはいい結果にならないとは思うが。

映像全部を見ることはできないので、これまた印象をつなぎ合わせたにすぎないのだが、R-指定が言っていたように「言葉が人質にとられている」のだとしたら、人質にとってるのは、視聴者や炎上させようとしている人ではなく、テレビの方なんじゃないのかな(R-指定がどう思ってるかは不明)。ちょっとしたことで叩いてくる人ではなく、ちょっとしたことで叩くように番組を切り取ってる人の方が重罪なのでは。

私は、どこまでいっても、視聴者や大衆のモラルを信じてない。ぼんやりしたものを扇動する方に罪があると思う。同じ業界だとそちらを批判することは難しいのだろうか。そのしょうもなさを言ったマツコの指摘は画期的だったけど、うまくいかなかったから、やっぱりテレビの限界を感じるしかなかったな。

という感想。
今日は嵐のライブムービーをドルビーシアターに見に行って楽しかったので、その話もまたどこかでしたい。

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