日記(2022/03/29) #まじ日
そういえば先日ゴッホ展にいった。
ヘレーネというコレクターを軸にした展示だった。事前の学芸員の解説を聞く会にも参加した。ヘレーネの生い立ちなどへの理解が深まった後で見るゴッホの絵は、またひとつ違うものだった(気がする)。
意外と、なのか、わからないが、ゴッホの画風は思ったより定まってなくて、試行錯誤のあとは苦しみに思えた。
ポスターにもなっている「夜のプロヴァンスの田舎道」に描かれている糸杉は、ヨーロッパでは死のモチーフであり、お墓の近くに植えられたりするらしい。ゴッホが晩年の作品に糸杉が描かれていることは偶然なのか意図的なのかどうでしょうね、という話があった。私は、意図的には思えない。ゴッホは理解してほしくて苦しんだ人だと思う。人々が天才を理解しようとして苦しんでいるときに、天才もまた、理解されたいと苦しんでいるとハコヅメで言っていた。ゴッホも理解されたくて認めてもらいたくて苦しんだ結果の自殺だと思う。そんな人が客観的に糸杉をモチーフにするだろうか。これは、完全にイメージの話だが、ゴッホってもう少し衝動的じゃないんだろうか。
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