日記(2020/05/24) #まじ日

もうインターネットに楽しいことはないのかなぁとふと思った。生活になくてはならないインターネット、老いも若きもインターネット!ではあるが、結局いまもテレビやラジオの形をインターネットを使って楽しんでいるだけで、インターネットを楽しんでいるわけではないのかもしれない。ここで指すインターネットというのは、接続して現れる世界のようなイメージ。目的語がでかい。まぁ、というと、インターネットが楽しかったことはあるのか?という気もする。わたしは黎明期より少し後にインターネットに激ハマりして、それこそ毎日10時間くらいパソコンを触っていたけど、その頃もインターネットは邪悪であった。しかし、もう少し、楽しい場所だったように思う。思い出が美化されているだけかもしれない。インターネットにつながって何かをするということがひとつのフィルターになっていたので、ある程度居心地が良かっただけか。アウトドアが好きな人が山に行くように、インターネットが好きなのでパソコンをつけた。うーん、でも、悪くはあったし、ユートピアではなかった、それはそう。ただ、もう少し、フィルタリングというか、画一的な価値観がベースになっていたような。今に始まった事ではないが、インターネットで見られる様々な意見や、インターネットがきっかけで起こった悲しいことを目にするたびに、インターネットってなんなんだろうな、絶対に健康には良くないよな……思うのだった。そもそもアフィリエイト記事しかないGoogle検索に価値はあるのか。欲しいものはインターネットにあるのか?

ちなみにこれを書きながら「多様性 対義語」でググったら、多様性のゴミ記事(検索上位に出てくる統一されたフォーマットで記載されるなにも言っていない意思がない広告、アフィリエイト目的の記事)が出てきて、こんなものにまでゴミ記事があるこにとても驚いた。「多様性の対義語まとめ!」じゃないんだよ。なんなんだよ。


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今日はフィルムカメラアプリでそれっぽい写真を何枚か撮ってみた日だった。これは、ベッドに寝ながらみたカーテン。

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