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有明にボブ・ディランを見た

ボブ・ディランを見た。

昔ボブ・ディランばかり聴いていた時期があった。歌詞を自分で訳して何度も何度も聴いて、その頃はほんとに彼の唄が大きな救いだった。主に聴いていたのは『The Freewheelin' Bob Dylan』とか『The Times They Are a-Changin'』といったフォーク期のアルバムだったけど、バンド期もあのヌケるような放埒な幸せさ、唄いっぷりも大好きで、『Blonde on Blonde』とか『Desire』とかよく聴いてました。


そんなボブ・ディランが、もう81歳になるというボブ・ディランが、日本にライブをしに来るという。私にとって大事な人生の一部分を成すボブ・ディランが生きて唄っているところを一目見られるのならばと思い、安くないチケットを買いました。人生に一度の機会だと思ったから。入場前にはスマホを専用のポーチに入れてロックされ、金属探知機でチェックまでされて、双眼鏡や録音機の類いは持ち込み禁止。これも何やらディランのこだわりとのこと。

会場は8,000人のキャパで、幕が開くとモニターも何もなし、彼は正面を向いたミニグランドピアノの向こうに座っていて、顔もよく見えない状態。他にバンドメンバーはギター×2、ウッドベース、スチールギター、ドラム。

一曲目が始まると、まぁ彼の声が聞こえない。バンドの音にかき消されてしまって、最早本物のボブ・ディランが唄っているのかどうかも定かではない。そもそも、ミックスがシンガーがメインのライブとしてではなくて、バンドとしてボーカルも他の楽器とフラットにセッティングされていたように思う。その後曲数をこなすにつれて彼の声も少しずつ伸びるようになってきたが、やはりかつてのように、辛いことも幸せなことも唄い飛ばすような力はなかった。もう81歳ですもんね。それは分かっていたことだし、むしろ20曲近くをインターバルなしで唄い続けた体力は素直にすごいと思った。色々なことがあったかもしれないが、これからもボブ・ディランには幸せでいて欲しいなと思いました。

これからもずっとディランに幸いあれ


ただ一方で、高めのお金を払ってチケットを買った人達は、何を期待して彼のライブに行ったのだろうか。私は、もしかするともうディランがかつてのように唄えなくなっていたとしても、心の拠り所であった彼の唄を、彼が生きて唄っている姿を、目に焼き付けたかったから。かつて何度も何度も聴いて、人生の特定の一部を占めるほどになった彼の唄を、生で感じることができればと思ったから。一方でディランの声はバンドに埋もれているし、姿は見えないし、演奏曲のほとんどが最近の新しいアルバムから。いや生の演奏を聴きに行って、知っている曲ばかりを求めるオーディエンスの姿勢については私も問題があると思っているが、今回の演奏についてはかつてのディラン感をほとんど感じなかったし、私は正直ちょっと微妙な音楽だなと思った。


これはもう単純に、私が現在のディランをきちんと追わずにライブに参加したこと、また単純に私が彼の現在の音楽を楽しめなかったことが原因だと思う。すんません。自分のせいです。
ただ、やはり自分の中でのかつての、アイコンとしての「ボブ・ディラン」のイメージが強すぎて(これは多くの人と通底するものだと思う)、そのためならこの金額も仕方ないかと思って歯を食いしばった結果、実際に目の当たりにしたのが知らないおじさん達のブルースバンドだったという塩梅になってしまったので、当惑せざるを得なかった。

しかしあの金額で8,000人キャパがほぼ満席で(席数を絞ってあったのでもっと少ないかも)、やはり客層は昔ディランを聴いていたであろう壮年期の方々がメインだったが、皆さん本当に楽しめたのだろうか?あんまり暇だったので客席を見渡してみたが、皆地蔵のように固まって見ていて「あぁ皆も同じ気持ちなのかもな」と思っていたが、一方で終わってからTwitterを覗くと、手放しに激賞する意見ばかりだったことに驚いた。私がTwitterを覗いた限りでは、ほんとに少しでも批判的な感想を述べる人はいなかった。私がよく知らないだけでブルースってのはあぁやって聴くものなのか?
自分が悪いのはよくよく分かっているが、欲を言えば、唄そのものに衰えが感じられたことは仕方ないにしても、私はもう少しディランの唄っている姿をしっかり見たかった。また唄自体にかつての力が宿っていないのであれば、せめてかつての名曲を唄っているところを観たかった。私はそのような感想を持ったライブでありました。

まぁ徹底したスマホ禁止の時点でディランの尖りっぷりが健在なのはやや感じていたし、彼が今やりたいことをやっているのを手放しに受け入れられないのは、偏に私のディランへの愛が足りなかったのかもしれない。しかしそうなると最早それはアイドル視であって、当の音楽はどうでもいいことになりはしないか?
私は彼のかつての音楽がとても好きだったし、それは今でも、これからも変わらないだろう。でも、もう彼のライブを聴きに行くことはないと思います。


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