『哀れなるものたち』感想(2024.2.3)

2024年2月3日、仙台に行ったついでに、フォーラム仙台で『哀れなるものたち』を鑑賞した。小さい映画館で、豪奢なカフェや物販はない簡素な作りの映画館だった。映画ポスターと映画評の切り抜きがぶっきらぼうに貼られて、自販機は多め。「映画に集中するための場所」という気概を感じる。

『哀れなるものたち』は、フェミニズム映画として評されているみたいだけど、その評価はなんとなくしっくりこず、どちらかというと、性に関する科学的アプローチを取った冒険譚、みたいな印象だった。(これ以降ネタバレ入る)

科学的アプローチと感じたのは、主人公ベラが、生みの親ゴッドと世話係兼婚約者のマックスという二人の天才科学者(医者)に育てられた故か、いつでも実験と検証の末「改善」を求めて冒険していくから。(台詞でも「improve」はよく出てきてた気がする)
自慰行為の気持ちよさを発見したベラは、それを自分の手〜物体〜他人の手〜他人の口と、様々な手段で「improve」できないか実験と検証を繰り返す。そして「気持ちよかったもの」は好き、「気持ちよくなかったもの」は嫌い、という自分の自由意志で判断し、選び取っていく。正直、現実ではなかなかそうはいかない。倫理観とか、貞操観念とか、同調圧力とか、文化とか、常に様態を七変化させてるけど確実にそこにあるよくわからないしがらみにひっぱられる。思いつく限りの可能性を全部実験してみるわけにもいかないし、自分の純粋な意志で好きなものを選ぶのもなかなか難しい。だから、ベラの決断と冒険は見ていてスカッとするし爽快なんだと思う。

彼女の旅に爽快感が生まれるのは、もう一つ、常に人間は良くなっていく(improveしていく)と彼女が常に信じているからもある。これも科学的思考かなと思う。要は、テーゼ-アンチテーゼの末にジンテーゼが存在し、その活動は常にアウフヘーベンする、と信じてる主人公なのだ。彼女が働くことになる娼館で、同僚の女の子と一緒に社会主義集会に行ってたけど、「人(または社会)は良い方向に上昇していく(はず)」という、科学の営みの根底にもある(ある意味)楽観的思想を彼女が持っていると考えると、活動に参加していたのも、なんとなくすんなり理解できた気がする。

だけど、途中の船旅で、同船したおばちゃん(すてきな笑顔の女優さんだった)にニーチェを薦められてたあたり、もしかしたら超人思想のような考え方も持っていたのかも。彼女自身が、母の身体に子の脳が入った、ある意味永劫回帰的な存在だから、そこにフロイト的泥沼トラウマ(笑)が入る隙のない強さ、みたいなものを体現できているのかな。わからないけど。

最後に出てきた将軍については、どう捉えたらいいのか迷った。ベラの元夫であり、彼女の自殺を引き起こしたサディストに対し、ベラは躊躇なく銃口をむけ、「improveしなきゃ」と羊の脳を移植する。だけど、この将軍がなぜあんな病的に召使を信じていなかったのか、元妻を幽閉して自由を奪っていたのか、貞操を重んじるのか、そこらへんの説明がなくて、「この人もこんな最悪な人間になる所以があったんじゃないか」「一種の性癖として理解するなら、全否定するのは今までの話を覆してしまうのではないか」とかの思いがちらついて、どう解釈すればいいのかわからなかった。

ただ、観終わったあと考えていて、この将軍の存在は「自由意志を阻む悪」という概念の表現、と考えたらちょっとしっくりきた。この人自身がどうのこうのというよりは、自由意志礼賛の物語において絶対悪な存在、をサディストとして出演させた、という理解。ここでもやっぱり、ヘーゲルの弁証法が激推しされている気がする。(そして、悪への制裁としては、脳と身体が逆、要は将軍の脳を羊の身体に入れた方が適切だったんじゃ?というよしきさんの指摘は、なんだか深く納得してしまった)

個人的にこの映画の好きなところは、ベラが相手の話を聞いているようで聞いてないところ。傾聴の姿勢がないわけではなくて、相手が何を言っているかに興味をもってちゃんと聞いてはいるのだけど、相手のサジェストに従うかは自分で決めるよっていう姿勢を貫いている。そして、彼女の判断には忖度や迎合が一切含まれない。脳が子供、という設定なだけではなくて、何事も縛りきれない彼女の生命力みたいなものを感じられて、気持ちが良い。

物語の最後でマックスと結婚するところについて、やはり結婚という制度に迎合している/組み込まれてしまったじゃないか、と方方から批判があるというのも聞いた。だけど、私はちょっと違うと思う。だって、あんなに好奇心旺盛なら、結婚だって一度は経験してみたいと思うだろうし、やっぱり窮屈だったらやめればいいやって思ってそうだし、何しろ新婚生活の家に別の恋人を連れている時点で「一般的な結婚」ではないだろうし。(娼館で社会主義活動に傾倒していたあの彼女。恋人だと思ったけど違うのかな)

そんな彼女の奔放さが、周りの人間を翻弄し魅了していくのは、仕方ない。そしてベラは、周りの人たちが自分に愛想を振りまいたり、かっこつけてきたり、過保護になったりするのを否定はせず、愛しんですらいながら、意志を委ねはしない。いつも自分のしたいことを自分で決めてる。今の時代にいたら、もしかしたらメンヘラ製造機になってるかも。憧れてしまう。

ということで、とてもチャーミングだけど強い女の子の映画で、とても好きでした。

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