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KKDを磨く

経験、勘、度胸、つまりKKD。ネガティブな文脈で用いられることが多い。
が、果たして本当にそうだろうか。

意思決定にあたっては、事実や分析結果が大事だということは分かる。
だが、真に危機的な局面においては、確かな事実は伝わってこないし、分析レポートが手元に届くこともない。難局になればなるほど、不確実性は増すのだ。その時リーダーとして、または個人として出処進退を見極めるためには、最後には当人のKKDに頼るしかない。

ゆえに我々がすべきことは、短絡的にKKDを否定することではなく、その質を高めること、磨くことである。

「経験」がネガティブに働くのは、その幅や深みがないにもかかわらず、そこへの依存が高まる場合である。しかし、自らの短い人生、狭い行動範囲の限りでは、価値ある経験を多く積める機会も少ないだろう。ゆえに大切なのが、歴史を学ぶことである。

賢者と呼ばれる人たちの多くは、歴史的な文脈を熟知し、そこに教訓を見出している。そして、過去に固執することなく、過去と現在を頻繁に対話させながら、最適な解を探し出そうとしている。過去と現在、部分と全体、主観と客観の縦横無尽に意識を巡らせながら、主体的に実践を積み重ねることで、問題解決の「勘」が磨かれるようになる。不透明な状況下では完全解などあるはずもないが、「勘」を最大限に働かせて仮説をつくり、軌道修正しながらも前進していくことが必要だ。

「度胸」とは何か。気後れしない精神力、動じない心を言う。では、どうすれば度胸が磨かれるか。
一つには経験値がある。どれほどの大舞台であっても、登壇の経験を重ねることによって、場に動じにくくなるかもしれない。
二つ目は、信念を持つこと。自分の進むべき方向は正しい、もはやこの道しかない、何があっても引かないと心底思うことができれば、気後れすることはないだろう。
三つめは、利己から利他への意識の転換である。自分が認められたい、いい格好をしたい、恥をかきたくないという意識ではなく、あくまで相手に便益を与える意識を持つこと。逆に言えば、これらの三つの要素がない場合には、真の度胸は獲得できないはずだ。

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