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世代論を超えて

巷間取り上げられることの多い「世代」の特徴について;

ミレニアル世代
:1980年代前半~90年代中盤生まれ(現在28~40歳ぐらい)
インターネット普及前後に生まれた世代、デジタルネイティブの始祖
幼少期からゲームやCDに馴染み、新しさやスピード感を求める
ゆとり教育とも絡み、個性の尊重を重視する

Z世代:1990年代中盤~2010年生まれ(現在13~28歳ぐらい)
生まれたころからIT技術、デジタル製品に馴染む
ネット絡みの負の側面・諸問題に触れているので、ミレニアル世代よりもリスク意識は高い
ブランドよりも自分が求める本質、信頼性を重視する
コスパ、タイパなど、効率性を重視する
現実社会の夢や希望は信じない、楽しむのは日常よりも非日常の世界

α世代:2010年生まれ~ (~13歳ぐらいまで)
AI技術、メタバース、ブロックチェーンなどとの親和性が高い(と想定される)、プログラミング教育の受益者
東日本大震災後の生まれ、社会問題への関心の高さ
コロナ禍の生活様式の影響を強く受ける

・・・

これら世代よりも年長世代(バブル世代、団塊ジュニア世代、就職氷河期世代等々)は、若年層との付き合いづらさを世代論で片づけようとしがちだ。自分のコミュニケーション能力の低さを棚に上げて、「やっぱりZ世代とは分かり合えない・・」で済ませようとする。

まあ、「最近の若いもんは・・」論は古代エジプトの時分から言われて続けているグチなので仕方がない。が、ここではミレニアルやZといった特定世代だけでなく、私たちがおかれている現在の社会について少し考えてみる。

“理性と主体性によって社会は進歩する”という夢物語(“大きな物語”(Grand narratives)は1970年代初頭に終焉し、いまは無味乾燥な近代と呼ばれる時代にある。近代以前の社会は、なんだかんだ言っても伝統や強い権力で守られていた。が、変化が激しい今日では、社会の仕組みやアイデンティティを常に更新させなければならない。この状態を「再帰性」(ギデンズ)と呼ぶ。

仕組みやアイデンティティの再帰性が高まると、安定的な社会基盤が失われ、社会全体が流動化する。この状態を「液状化した社会」(バウマン)と呼ぶ。液状化した社会では、凝り固まったアイデンティティを持つことは生きていくにあたっての「負の遺産」となる。

凝り固まったアイデンティティだけでなく、不要となった生産財、廃棄物も「負の遺産」に属する。生産よりは消費が重視される。消費に貢献しない層(貧困層、高齢者層)は、社会からは不要な存在として扱われる。

こうした負の遺産とどのように向き合っていくのか、それが「サステナブルな社会」における重要課題である。持たざる会社、持たざる人生がもてはやされる。

液状化した不安な社会で生き残るために、人々は「リアリティ」を求めようとする。しかし、インターネットやゲーム、映像メディアの中には「本物とそっくりなリアリティ」があふれ、それらが人の脳や身体に直接的に影響を及ぼすため、我々は本当の現実と虚偽の現実との区別がつかなくなっている。

こんな時代において、社会に夢や希望を持たないのはZ世代だけでない。
おそらく、年長者を含めほとんどの人が同じ思いを抱いている。
私たちに必要なのは考える「場」。
そして人間以外の生物を観察すること。






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