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#41/1000 著書『夢をかなえるゾウ1』の課題⑧【その日頑張れた自分をホメる】を実践してみた


著書『夢をかなえるゾウ1』で像の姿をした神様から与えられる約30日間の課題を実践中です。昨日は実践8日目でした。

今回の課題は【その日頑張れた自分をホメる】でした。

改めて著書を読み返すとこうあります。

「一日のうち、絶対一つは頑張れてることあるから、それを見つけてホメるんや。一日の最後はな、頑張れんかったこと思い出して自分を責めるんやなくて、自分をホメて終わるんやで。そうやってな、頑張ったり成長することが『楽しい』ことなんや、て自分に教えたるんや」


何故かかなり濃い関西弁で描かれている神ガネーシャであるが、この文面を読むだけで心が救われるような気持ちを感じてしまいます。

ということで早速今日の自分をホメていきたいと思います。(一部抜粋)

・ 毎日の習慣を今日も継続することができた
・ 自分に正直にいられた
・ 人に嘘をつかなかった
・ いつもよりも早く就寝できた
・ 横断歩道で道を譲ってくれたドライバーに感謝の気持ちを伝えられた
・ ・・・


やってみて感じたのは、自分が意識的に実践していることはすぐに思いつくけれど無意識にしている「世間的に良いとされる行い」は立ち止まって考えてみないと思い浮かばないことがわかりました。

正直この課題の趣旨である「頑張ることは楽しいこと」というのはそもそも「何をやるにしても別に頑張って何かをする」という認識を意識的にしないようにしている(最近ではほぼ無意識になってきている)私にとってはあまり意味を成さないものであったかもしれません。しかし自分が行ったことを良いことを有意識、無意識に区分できたことは意義があったように思います。(本当の意味で無意識であれば書いている自分ですらわかり得ないことなのでここでは後になって振り返るとわかったことを無意識と表現する)

自分で思うようにいかないと思った中にも自分が頑張ったと言える行動は意識的、無意識的に限らず必ず見つけることができました。


また考えの癖として、「『頑張る』って嫌々ながらそれをしているみたいなニュアンスが含まれるので使いたくない」とか「そもそも頑張るの定義をしないと考えられない」とか「そもそも頑張ったことって意識的にすることのみを指すのでは?」などが途中から頭を支配し、結局、思考停止に陥ってしまうことがあることも明るみになってきました。


恐らくこういう課題をするときは深く考えて言語で厳密に定義するというよりは、直感で自分が頑張った思うことをつらつらと書いていくことが重要なのだろうと思います。もしそう考え始めてしまったときは、きっと「もう自分の中で頑張ったことを出し尽くしたからこれ以上考えなくてもいいよ」という合図なのでしょう。


では最後に、
自分をホメるノートの最後にはこう書き記しておくことにします。

・ ・・・
・ 今回の課題にしっかりと向き合うことができた


今日はここまで。お読みいただきありがとうございました。


今回の学び : その日頑張れた自分をホメる
次回の課題 : 1日何かをやめてみる

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