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「サッカークラブの人財とは?」


細川淳矢 
1984年生まれの37歳
2012-2021  
水戸ホーリーホック在籍10シーズン
259試合(水戸在籍時リーグ戦のみ)

10シーズン在籍した37歳の選手が
J3のFC今治からオファーをうけ、
彼は移籍を決断した。
彼とは自分が就任した2016年から
丸6年間、さまざまな出来事とともに、
まさしく苦楽をともにした。


どんな選手だったか?

ホソキャプテン


公式戦では「我々のゴール」を守るために
決して恐れず、いつも身を呈して、身体を投げ出す姿勢こそが、彼のスタンスそのものだったように思う。

on the pitchでは、常に「陽」の空気を
醸し出し、チームに前を向かせる。


off the pitchでは、常にフロントスタッフと協働し、パートナー、ファン、サポーター、行政、
地域の方々と積極的に関係を築き、交流を
はかり、絆を作っていった。

ホソ農業
ホソイベント出席


新しく加わる選手とは、分け隔てなく接し、
彼等の居場所を作り、文字通り「和」と「輪」をどんな時も即座に作ってみせた。それも毎年。

ホソ笑顔


そんな彼はいつからか、水戸ホーリーホックの
象徴的な存在となり「親近感」と「一体感」という水戸ホーリーホックが大事にしている風土を醸成し、それをクラブの文化として、浸透させていった。
もう少し彼とのエピソードを詳しく語ると、今時の選手としては珍しく
仲介人をつけない彼との交渉は、毎年一筋縄ではいかず、時間も、精神的な労力も、他の選手と比べると多くを要したことは事実だが、いつからか、12月の彼との交渉は自分のひとつの楽しみへと変わっていった。

正直、耳の痛いこともかなり言われた。
しかしながらお互い指摘をし合うようなやりとりも時として、もちろんあったが、給料を含めた、条件交渉は、大抵すぐに終わり、大半はチームの方向性や、どうやったらよくなっていくかなど、クラブの未来についての会話がほとんどだった。
会議室だけでなく、カフェでコーヒーを飲みながらお互い構えずに本音で話すということも幾度かあった。
ある時、ひとりの選手への処遇を巡って要望を強く訴えられた。状況次第では、自分の給料を削ってでも、その選手への処遇の見直しを主張してきたこともあった。
内容は伏せるが、身を斬る覚悟で「利他」を考え
進言することはなかなかできることではない。
彼はそんな選手だった。


その彼も、昨季のオフには仲介人をつけた。
このオフは、例年のように語るクラブの未来について、直接話す機会は自ずと少なくなっていった・・・。

ホソとは移籍を決断して、全てが決まったあとに、ゆっくり話す機会をあえて設けた。そしてそこで決断の経緯をじっくり聞いて、ホソらしい
決断だと、納得できた。色々な意味で水戸に残る方が、変数が少なく、今治への移籍の方が未知だったはず。それでも彼は移籍を決断した。

1月9日。ホソの送迎会がサポーターの方々の企画で行われた。実に150人近い方が集まった。

ホソイベント


ホソイベント写真

細川淳矢は水戸ホーリーホックというクラブにとって色々な意味で特別な存在だった。
昨季は数字上では7試合というものでしかなかったが、試合数だけでは到底表すことができない
様々な場面で、多大な貢献があったということをクラブの責任者として、クラブに関わる方々の意を汲み、ここに記しておきたいと思う。

この10年間で彼が醸成した水戸ホーリーホックの
「文化」「風土」「規範」
を大切に、大切に、継承し、
これからも前に進んでいこうと思う。

「ホソ、10年間本当にありがとう!」

今季の君の活躍を心より願っています。


        クラブスタッフ関係者一同より

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