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「空気を読まず、独善的であるということ」

副題として

「これでいいのだ!」 

としておこう。

タイトルは昨年  number  で取り上げられた
元プロサッカー選手で現在ヨーロッパのクラブでコーチをされている中野遼太郎さんの記事を読んで、感じた率直な感想!( 中野さんとはまだTwitterで相互フォローの関係)
日本人で海外でプレーしたり、生活をした人が
必ずといってよいほど1度は感じる違和感についてのお話。
(海外と言っても自分が過ごしたのはたった1年半ですが…。)

年末の怒涛の日々が終わり、
ひと段落しつつ、
シーズンインからの今はキャンプ中!
この冬の移籍期間の出来事についてはまた改めてどちらかで書こうと思う!

今日は少しライトな内容で攻めていこうと!

まずはこの記事をじっくり読んでもらいたい!
鋭すぎる視点で、そして痛快な表現で、
数々の事が語られています。

昨年のいつ頃の記事でしたかねー。
読みたいと思いつつも、
交渉業務に追われ
タイトルだけ見て、
どんな中身を色々想像していたが、
いざ読んでみたら、非常に本質的な内容で、
昔の様々な記憶が蘇った。
ひとつは引退直後に感じたこと。
当時はとにかくサッカーから離れたかったというのが本音。
正確には「ちゃんとプレーをする」ということ
から離れたかった。
軽く誘われて、
「現役終わったばかりだし、まだ動けるでしょ!」的な感じで、
誘われるサッカーが一番嫌だった。
「ちゃんと」
プレーできない自分が文字通り
「恥ずかしくて、、、」
「大したことないな…」
と思われるのが嫌で、
特にプロでない人達とサッカーをすることに、
見えないプレッシャーを強く感じていた
時期の事を思い出した。
ここにも書いてあるが、
『サッカーとは一部のとても上手な人たちのものであると同時に、大半の下手な人たちのものでもあり~』
『錆びない技術を売りにできる人間しかサッカーができないなら、そんなにつまらないスポーツはありません』

「まさしく!!!」

ただ、できたことができなくなるってのは
なかなか寂しく、悲しく、虚しく、
それをその時は認めたくないから、
プレーしたくなかったのかなとも思う。

「でもよかった!!!」

引退してから3ヶ月ほどすると、
ボールにやはり触りたくなり、
小さいな子供達とボールを使って遊ぶことが楽しくなり
(浦和レッズハートフルクラブのコーチ時代)、
喰らいついてくるちょっとうまい子供達と
ボールの取り合いをすることに
だんだん、次第に、
「そう!」
いつの間にか、夢中になっていっていた。

「いや~やはりサッカーってすごいですよね~」

もうひとつのエピソードはなかなか強烈です。
忘れもしない2010年の8月頃。
アメリカ挑戦、2年目のシーズン終盤、
CRYSTAL PALACE BALTIMORE
(アメリカリーグ2部)所属時に事件は起きた。
まず手始めに、自分にオファーをくれた監督が、
2ヶ月ほどで辞任…。
そのあたりから不穏な空気が流れはじめ、
シーズンの半ば、それまでホームスタジアムで
使っていた、スタジアムが突然使えなくなるという大事件が勃発…。
理由は公式戦スケジュールの後期の予約をし忘れていたらしい・・・。(これホント) 
急遽抑えたホームスタジアムには当然お客さんはいるはずもなく、後期のホームゲームがスタートした。
しかしながら、
今度は試合当日キックオフ時間になってもゲームがなかなか始まらない。
理由は急遽抑えたスタジアムの
ペナルティーエリアが狭かったらしく、
相手チームから、試合直前にクレームが入り、
書き直し作業をしていたため・・・(これもホント)
しかもGM自ら(これまたホント)
シーズンも終盤、上記も含めた、
様々なアクシデントが数々起こり、
チームの推進力は完全に落ちていた。
そして次々と選手が怪我をして離脱。
戦える選手の人数がどんどん減っていっていた。
そしてある日、ついに決定的な出来事が!!!
公式戦2日前の練習で人数が少なくなり、
練習に監督も入って行っていたところ、
自分が目の前の監督を鮮やかにドリブルでかわして、ペナルティーエリアに侵入したところで、
「そう…」
「1秒後…」
想定していないタイミングで後方からタックルが・・・。

監督に削られてあえなく、捻挫・・・。

最終節のアウェー、タンパベイへの遠征にはいけずにシーズンの終了が確定した。
悔しさと、情けなさと、
色々な感情が入り交じりながらも、
最終節、テレビをつけてみると、
これまた驚愕の光景が、、、
自分が怪我をして留守にした右サイドバックの
ポジションで監督が出ているという衝撃的すぎる事実、、、
(ホント…。いや、嘘であってくれって思ったけど、これもマジでホントだった…。)
ベンチメンバーゼロ(たしかそうだったはず・・・)
で最終節を戦い、

そして、、、なんと、、、

6-3で勝つという珍劇、、、

「嘘でしょ…」

タンパベイには当時元東京Vで活躍されていた
山田卓也さんがいたが、
最後ばかりは

「卓さん、マジ勝ってくれ…」
「今日だけはいいよ…」

って思ってしまうくらい…。
敵チームを心の中で応援する自分がいて、
さすがに移籍、帰国をその日に決意したという
苦い、苦い、思い出。
ちょっと、想像してみてほしい、、、
怪我をして、試合に出れないだけでなく、
監督に削られて、怪我をし、
自分のポジションで監督自ら出場して、
しかも勝ってしまうという試合を
テレビで見る選手の気持ちを………。
いや!いや!いや!
やはり想像しなくてよい!
そんな事は、この先に2度誰の身にもおそらく
起きる事はない!

だいぶ遠回りになりました。
しかしながらですね、、、
視点を変えると、
自分を削った監督は、
純粋に目の前の相手と練習でも
本気で戦ってしまうということ。
独善的という言葉が合うか、わからないが
日本人でいうところの
「グランド上では空気は決して読まない!」
「ただそれだけ!」
レッズの時にもよく、監督のギド(キド・ブッフバルト 1990年イタリアワールドカップ優勝メンバー)や、コーチのエンゲルスが、ミニゲームで本気のカニバサミを選手を相手に喰らわしていたこともそういうことなのだ。
当時は「大人気ない」と思いながら、
「うーーん、、、海外の元プロの人ってこういう感じなんだな…。」とサッカーという競技への考え方、関わり方、への多様性を自然と体感していたことを思い出す。

今年の1月4日に昔からの仲間と自分の子供の仲間達と初蹴りをしたけど、ひさしぶりに大人同士ではありますが、お互い動けないなりにもガチガチとやり合ったり、子供を相手にもちょっとムキになってみたりしてたけど、純粋に

「サッカー、めっっちゃ!、楽しいな〜〜!」

って改めて実感!

「そう!これでいいのだ!!!」

「サッカーとはプロ選手のものであり、動けなくなった元プロの人たちのものであり、また、お腹が出た社会人のおっさん達のものであり、
少年、少女のものであり、地域のチームを応援する人など、様々な人達のものなのだ」
そして、そこには様々な楽しみ方、
関わり方が存在するということ。

その昔、技術にこだわり、自分らしいプレーとは何かと、「とことん追求し続けながらしたサッカー」も、また今では、「長男、次男と時に戯れ、時に大人気ないサッカー」も、
「そう!」
今も、昔も、
自分にとっては、
この上ない楽しみであり、やり甲斐のある時間だったし、今も幸せな時間だとつくづく思うのだ!
大人気ない、息子達との関わりはいずれどこかで紹介できたらと!
「空気を読まない」親父のサッカーとの関わり方を見た子供は何を感じて育つのか?

また途中出てきた、アメリカのシーズンの話も
終わってみればだが、色々なシーズンが時として合っても良い。
キャリアのところではシリアスに違った切り口で書いたりもするが、
この2010年は今から思えばだが、
奇想天外な、愉快なことが、
まあまあ、すげー、起きていた。
その当時は「んだよ💢」って思っていたが、
そんな凹みや、尖りを感じるシーズンがないと、逆に盛り上がりや、滑らかさも
感じられないということを最近は思えるように
なってきた。
(クラブの立場の人間としては、常に盛り上がりや、滑らかさを感じてもらう側で在りたい)

「いろいろ経験すること」と、
「色々な在り方をするということ」は、
やはり大事なことなんですね。

当面は記事に書いてあった、
「めっちゃ楽しそうにサッカーをする(もう動けないけど、それなりにうまい)おっさん」
で在りたいと思ったというお話!!!

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