アロマアセクとロマセクが交際すること〜恋せぬふたりの感想〜

NHKドラマ「恋せぬふたり」の放送が終了した。放送前からとても楽しみにしていたし、ほぼ毎週放送終了後には頬が濡れていた。こんなにも、わかる…!と思える瞬間があるドラマははじめてだったし、自分や交際相手に重ねていろいろと考え込んだ。私はアロマンティックアセクシュアルを自認している。また、もうすぐで交際1年半になるロマンティックセクシュアルの異性がいる。具体的な単語は使っていないけれど私の傾向は話してあって、身体的接触はハグまで。キス以上はなし、ということで同意を得て付き合っている。ドラマでいうなら、咲子とカズくんのような感じ。そんな当事者として「恋せぬふたり」をみて語りたいことはたくさんあるのだけれど、膨大な量になってしまうので、まずは一番考え込んだシーンについて書き残しておく。

第4話のラスト、カズくんは咲子に言う。

「俺でもよくない?俺、咲子といるとなんかいいんだよ。服も趣味も合うし。キスもセックスもしない。触ったりもしない。したくなったら自分でするから。だから、恋愛抜きで家族になるの、俺でよくない?」

それに対して、第5話、咲子はカズくんに伝える。

咲子「私ね、一緒に住んでみてすごく楽しくて、居心地もよくて。きっと毎日楽しいんだろうなって思う。けど。私カズくんに、無理とか我慢とかしてほしくない。」カズ「それは、いいんだよ。俺それでも咲子が好きなんだから。」咲子「私カズくんが好きな子としたいこと、たぶんなんにもできないのに?わかんないけどわかるんだよ。カズくんにとってはそういうことがとっても大事で、そこに幸せがあるんだろうなってことは。」カズ「でもそれこそ咲子が一番わかってるんじゃねえの?恋とか愛とかが幸せのすべてじゃないって。」咲子「そうだよ。だから私のためにカズくんの幸せ全部抜きにしてほしくないの。心から幸せになってほしいから。だから、私たち解散しよう。」


私も何百回も繰り返した思考。

彼は、他の女の子となら「当たり前」に手に入れることができた幸せを、私と付き合い続ける限り得ることができない。申し訳なくて、できないことへの負い目がしんどくて、別れた方がお互いの為かも・・・と思ったことは何度もある。でも、私としては、相手がそれでもいいと言っていることを、私の判断で断ち切るのはより一方的で我儘だと思っていた。するのもだめ、しなくてもだめなら相手は成す術がなくなる。できないことを別れる理由にするなら、「相手に幸せになってほしいから」ではなく、「自分が罪悪感に堪えられないから」にする。その罪悪感や申し訳なさ、しんどさを抱え続けるのは、ロマセクの彼と付き合い続ける上での自分の責任だと思ってた。

でも、それも自己満足でしかないのかもしれない。咲子の「カズくんには心から幸せになってほしい」は、私と付き合っている限り彼は本当に幸せにはなれない、と同義。私がどんな感情だとしても、できないことには変わりない。相手の幸せを願うなら、相手の好意と優しさに甘えないなら、自分から手を離すのが優しさなのだろうか。私は彼の幸せを願う気持ちが足りないのだろうか。

最終回の最後、咲子の声で語られる。

「でも、絶対忘れちゃいけない。私の人生に、何か言っていいのは私だけ。私の幸せを決めるのは、私だけ。」

咲子がカズくんに「心から幸せになってほしい」と伝えたのと矛盾していないか。咲子はカズくんの幸せを決めていないか。とはいえカズくんも咲子の提案を受け入れたのだから、カズくん自身もそれが自分にとっての幸せだと納得したのだろうけど。

やっぱり、アロマアセクとロマセクが交際を続けるのはお互いのためにならないのか。でもセクシャリティが違うからって、友達じゃ少し足りなくて、お互いにとって相手が唯一無二の存在でありたい関係性って築けないのかな?生まれた時からほぼ無理なことが決まってたってこと?そんなのあんまりじゃない???

咲子とカズくんが解散という選択をしたこと自体にとやかく言うつもりはないのだけれど、その言い分が、ロマセクと交際するアセクにとってはしんどかったです。私が言える立場じゃないのかもしれないけど!


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