吹団アドカレ12月25日担当nsurです。すべての浪を救う話書きます。
さらばすべての浪人。
まず何書こうかって話
吹団アドカレという存在を知ってしまった話
まず、知ったきっかけから話します。ずばり12/7の人の記事を読んだからです。ほんとにお世話になっている人だと思ってます。吹団アドカレの存在を知れてよかったです。書きたい・残したいことがちょうどあったので。この場を借りて普段からの感謝も述べたいっす。いつもお世話になってます。ありがとうございます。
なんでこの日?
なんで名だたる先輩方を差し置いてこの日と思ったそこのあなた。当然俺の誕生日だからですね。誕生日は祝うべきなんでね。もちろん今日の担当は俺ってことです。
じゃあ具体的に何書く?
世の中の恋人たちが聖なることする聖なる夜に何書くのって事なんですけど、実際書きたいことはあります。浪人時代の話です。自身としては貴重な経験だったので他人に共有したくなく、浪人を題材に書くか迷ってました。しかし、1度どこかに残しておきたいと自分自身が思っていたし、浪人からほぼ1年がたった今だからこそ静観した視点で見直せるかと思った今だからこそ浪人時代の話を書こうと思います。
浪人
今の浪人事情
今の浪人事情は、大学受験をただ経ただけだと明るくない人もいると思うので解説しておきます。知っておいてほしいのはズバリ、浪人の数は一般の人が思っているより多いということです。一昔前は、大学受験で浪人するのは当たり前だった時代もありましたが、浪人の数は現在、全体比約14.8%ぐらいまで落ちていて、今後も減少していくとされています。理由は、今まさに大学全入時代が訪れているからです。少子化と大学の増加による定員増加にあおりを受けて、2023年の大学受験者は110万人ほどでした。要は、全員座れる椅子取りゲームをしているわけです。で、その中で自分からわざわざ椅子に座ろうとしない馬鹿が浪人というわけです。浪人のこのような事情を知らずにただ「浪人!?すごいね」という人もいます。ただ実際は、今と昔の受験事情は異なっていて、謙遜でも何でもなく僕たち浪人生からしたら、浪人ってそんなすごくないのになと感じるわけです。
The・参考資料
一応参考資料を添付しておきます。ちなみにこの動画初めて見たのは僕が現役だったときなので、当時の僕はこの動画を見てなお浪人することにしてます。ただ、浪人する上で決め手になったことの一つではあるのでついでにあげときます。今見ると、馬鹿みたいに気持ちが分かって普通に効きます。
ちなみに落ちるやつが三割なのは割とガチです。浪人しても成績は上がりません。この動画を見て駿台で友達作んなくて良かったとは思ってます。
現役時代の話
僕の浪人時代を話す前に、現役時代の話をするのが筋ってもんだろってことで、現役時代のことを書きますが特筆すべきことは何も無く、ただ自分が自分自身に対して胡座をかいて、何もせず受験を甘く見て、受験まで来てしまったと言うだけです。高校の頃は課題もろくにやらないのに、友達と遊んでばかりでとても自称進学校の受験生とは思えない生活をしていました。せめて白紙で英語の課題出してそのことを直接英語の先生に怒られる前に、ちゃんと勉強しろよっと当時の自分に言ってやりたいです。
現役時代の3月
浪人するぞって事態をこの時の自分は結構楽観視していました。まあまだ国立の発表があったので。しかし、どの大学も落ちて落ちて落ちまくりました。行く大学がないことへの焦燥感だけが常に残っているにもかかわらず、何故か受かった友達と一緒にUSJに行ってます。馬鹿ですね。何も反省してない。浪人すればいいと思ってました。浪人するなと言わないですけど、もう少し重く考えろとは思います。見事に滑りまくり、後期埼玉大も滑ってしまいました。
浪人への覚悟を決めた話
ここで浪人時代に突入する前に、ぼくが浪人することを覚悟するに至った出来事を紹介しなければいけません。3年に上がったとき、僕はある数学教師に出会いました。僕はその先生との出会いを生涯忘れることができないと思います。その先生は、30代ぐらいの先生で高校の中ではもっとも若かった先生でした。その先生は、僕のクラスの数Ⅲを担当していて、とても面白くて、わかりやすい授業をする先生だなって思っていて、何度か質問にもいってましたし、文化祭実行委員だったので、行事でも関わることが多かったです。その先生も、浪人を経て東京理科大に合格し、今教師になっている人でした。僕がいざ浪人するかどうかという時期にたまたまその先生と校門で会い、浪人するか迷ってるという話をしたところ、「した方がいい」と背中を押したくれたことが今でも忘れられないです。「僕も浪人したから、今、教師をやっている。浪人することはつらいことだけど、無駄なことじゃない。」と言われた時、浪人しようという覚悟が決まりました。そして駿台を薦めてくれたのも先生でした。「浪人生になると、学校という縛る物がなくなる。朝起きれなくても怒ってくれる人はいないし、勉強する義務もない。だからこそ、塾には行った方がいい」とおしゃっていました。その先生は僕の生涯通しての恩師だと、受験に受かった今だからこそ思います。
駿台へ
駿台と言えば恐らく大学受験生のほとんどがその名を知っているような、受験業界の最大手予備校のひとつです。中でも駿台の特徴は、浪人生が多いことにあります。東大・京大を始めとした旧帝大、早慶上理あたりを目指す浪人のほとんどは駿台に入っています。「文系なら河合、理系なら駿台」と言われるように、理系科目が強いことも有名で、僕が駿台を選んだ理由の一つでもあります。ここまで聞くと駿台すごいなと感じる人が大半ですが、実情は全く違います。浪人生は、一回浪人しているわけですから、当然まともなやつが多いはずもありません。僕の代では、僕のいた校舎ではないのですが、塾内のゴミ箱にビール缶を捨てた事件が有名です。教務がぶち切れていました。他にも毎年の恒例行事はたくさんあります。駿台の各校舎にはフロンティアホールと呼ばれる談話室兼自習室があるのですが、毎年そこで騒ぐ輩が発生します。通称フロホ民。ただ実際は多浪生で余裕があるため騒いでる人もいるため、あながち全員が全員だめなわけではないですが、本当にどうしようもないやつも紛れ込んでいます。そんなこんなで現役時代を見つめ直してしっかり授業聞いて絶対合格するぞと入った駿台には、駿台を大学かなんかと勘違いして髪を染めたり、授業を春からブッチして騒いでる馬鹿どもが多かったです。しかしながら、そういう人に限って消えるのは早く、6月頃にはもうタブレットでノートをとる人(僕はノートじゃないと真の学習効果は得られないと考えてる派です。)や、髪を染めてる人、騒いでるやつは湿気と将来への絶望にやられたのか校舎から少なくなっていました。もちろん、染めてる人の中には真面目に授業最後まで受けて成績も良かった人もいます。ただ、消える人の方が圧倒的多数でした。
駿台で学んだこと(その1)
1つめは科学者的な思考と物理を今学ぶ意味です。1つといいつつ2つです。これにはシュレティンガーの猫もにっこり。というのもこの二つは同じ本から得た学びであるため、ひとつの話にまとめざるを得ないのです。先ほどもいったように「文系なら河合、理系なら駿台」という言葉があるわけです。これは、駿台での理系科目(特に物理)が、高校範囲から逸脱しアカデミックな学びを得られるからに他ならないからです。俗に言う駿台駿台物理というやつです。で、その駿台物理の最たる存在が山本義隆先生の「新・物理入門」(駿台文庫)です。内容は大学1年生と高校物理のちょうど中間のような感じのものですが、前書きや随所に書かれている注意書きには、常に物理の原点を見つめ直し勉強の先にある研究までを見据えた物になっており、とても勉強になります。僕は、この本の前書きに物理のなんたるかを教わりました。特に気に入っている一節を載せておきます。
うーん。打っててバカ長いと思いました。ただめっちゃいい話なんで特に文系の人ほど読んでもらいたいです。駿台で学ぶ駿台物理には僕も最初受け入れがたさを感じていました。微分積分を使い慣れていない僕からすれば、特に積分を用いたときに訳がわかんなくなり、授業について行けるか不安になっていたときに、この序文を読んだことで、手で計算し物理を学んでいくことの重要性を理解し、微積分を用いることへの嫌悪感がきれいさっぱりなくなったのです。視界がパッと開けたような感覚でした。この本に出会えてほんとに感謝しかありません。そんなこんなで、駿台で学んだこと(その1)でした。
駿台で学んだこと(その2)
2つめは誠実であることです。これには駿台で出会った人生の中でも最も素晴らしいといえる先生との出会いが隠されてます。駿台での授業が始まって、1週間経ったある日、その日は強烈に印象に残っているので水曜日であることは覚えています。駿台は朝9時から夕方16時まで6限分の授業をするのですが、たまたまその人の授業はその年の授業が始まってから一週目の最後の授業でした。授業が始まる前に突然教務さんが、教室に入ってきて「次の授業担当の齋藤英之先生は例年合わなくて授業を切る人も多いほど厳しいです。しっかり覚悟を持って、授業を受けてください」というのです。その授業だけ特別に教務さんが忠告したのです。若干教室内がピリつきつつ、始業のチャイムとともに先生が入ってきて、3枚のプリントが配られました。そしてこう言うのです。「私は駿台では唯一指名形式の授業をします。この三枚のプリントを1字1句隅々まで覚えてきてください。次回からの授業にはこの三枚のプリントを必ず持ってきてください。」とぶっきらぼうな感じで授業が始まりました。そこから地獄が始まったのです。本当にテキストの問題を前から当てていくのですが、100人教室の半数ぐらいになるまで質問の正しい答えが返ってくるまで当て続け、間違った生徒には手元の名簿にシャッッシャッと×をつけていくのです。しかも名前だけ当てて他には何も言わずに、初日はたまたま後ろの方に座っていたため当てられることはありませんでしたが、翌週には半数近くが授業を切っていたのです。僕はそんな英先生の授業の緊張感と質問に正答できない悔しさがはまり、2週目以降も残りました。僕の文章力では英先生の怖さが伝わりきらないと思うので、駿台の学生が編集しているwikiの力を借りようと思います。
https://pchira.wicurio.com/index.php?%E9%BD%8B%E8%97%A4%E8%8B%B1%E4%B9%8B
また長くなってしまいました。英先生の元には毎授業終わった後いって質問し、自分に何が足りなかったのかを徹底的に分析し、次第に英語の成績も上がっていきました。英先生は怖くて授業を切る人も後を絶ちませんが、その怖さは生徒を思ってこその怖さであり、ときに人として誠実であるように努めようとすることが社会に出ても大切であることを認識させてくれました。この授業のおかげで今も大学の授業にはできる限りでようと思って入れています。授業をしてくれている人はわざわざ自分たちのために時間を割き、真面目に授業しているのだから、それに答えて真面目に誠実に授業を受けることを目指したいなと感じる授業でした。
また、僕の中で印象に残っている言葉があります。
「英語の勉強は、楽器やスポーツの練習と一緒だ。毎日続けなければ結果が出ることはない。」
その通りだと思いました。僕は英先生から、何事も根気よく続けることの大切さを学びました。英先生の僕のクラスでの最終講は実に和やかな雰囲気で終わりました。今でも忘れられない思い出です。
The・あとがき
テストが燃えてる
あのここまで書いてなんなんですけど明日の化学のテストが燃えかすになってました。もう寝たい。誕生日なのにこの仕打ち。大学を許すことはできない。ぶっ殺してやりたい。
最後に吹団の話
ここまで浪人時代のことについて書いてきたんですが、まあ長いこと。
ってかもっと書きたい。でも文才がない。大変だ。
って訳で最後に吹団の話なんですけど、浪人の話を結構意気揚々と書いてるんですけど、実際今も昔も浪人って毎日毎日、朝から晩まで授業受けるか、自習室に籠もって勉強しかしないで、心が徐々に壊れていきます。日曜日も自習室にいくんで髪を切りにいかない。友達もできないので家族以外と話さない。あげく、高い塾代を払って親に迷惑しか掛けてないのに、勉強をしなければいけないから、バイトもできない。しかも、来年受からなかった場合のことを考えると、ゴリゴリ精神が削られていく。正直思い出したくない記憶です。そして、いざ大学に入っても他の人より1年年上なのは地味に心に効いてきます。入ったときは不安しかなかったです。でも吹団の人たちは分け隔てなく接してくれて優しいしおもしろいし、居場所というものを感じられました。去年の最後の方に同じ高校から浪人した友達に、「浪人の最後のほうはお前暗すぎて正直避けてた。」と言われました。正直、浪人の最後の方は死んだ魚のように勉強し、ネガティブな言葉しか言ってなかったです。そんな自分を吹団という場所が受け入れてくれたことには、ほんとに感謝しかないです。本当に救われました。先輩方の引退さみしいです。ありがとうございました。打楽器の皆さん優しく接してくれて、いろいろなことを教えてくれて、ほんとに感謝してます。これからも頑張っていきます。
最後に
浪人したほうが良かったと思うかってよく聞かれるんですけど、それを決めるのは大学出て社会に出てその経験が生きるかに掛かってます。まだ道半ばです。ただ、貴重な1年だったこと得た物があったことは事実です。それを大事にこれからも前に進んでいこうと思ってます。普段はバカですが、いざって時には、俺も支えるんで、支えててもらえると嬉しいです。長くなりましたがテストもやばいので終わります。