浪を救う話

吹団アドカレ12月25日担当nsurです。すべての浪を救う話書きます。
さらばすべての浪人。


まず何書こうかって話

吹団アドカレという存在を知ってしまった話

まず、知ったきっかけから話します。ずばり12/7の人の記事を読んだからです。ほんとにお世話になっている人だと思ってます。吹団アドカレの存在を知れてよかったです。書きたい・残したいことがちょうどあったので。この場を借りて普段からの感謝も述べたいっす。いつもお世話になってます。ありがとうございます。

なんでこの日?

なんで名だたる先輩方を差し置いてこの日と思ったそこのあなた。当然俺の誕生日だからですね。誕生日は祝うべきなんでね。もちろん今日の担当は俺ってことです。

じゃあ具体的に何書く?

世の中の恋人たちが聖なることする聖なる夜に何書くのって事なんですけど、実際書きたいことはあります。浪人時代の話です。自身としては貴重な経験だったので他人に共有したくなく、浪人を題材に書くか迷ってました。しかし、1度どこかに残しておきたいと自分自身が思っていたし、浪人からほぼ1年がたった今だからこそ静観した視点で見直せるかと思った今だからこそ浪人時代の話を書こうと思います。

浪人

今の浪人事情

今の浪人事情は、大学受験をただ経ただけだと明るくない人もいると思うので解説しておきます。知っておいてほしいのはズバリ、浪人の数は一般の人が思っているより多いということです。一昔前は、大学受験で浪人するのは当たり前だった時代もありましたが、浪人の数は現在、全体比約14.8%ぐらいまで落ちていて、今後も減少していくとされています。理由は、今まさに大学全入時代が訪れているからです。少子化と大学の増加による定員増加にあおりを受けて、2023年の大学受験者は110万人ほどでした。要は、全員座れる椅子取りゲームをしているわけです。で、その中で自分からわざわざ椅子に座ろうとしない馬鹿が浪人というわけです。浪人のこのような事情を知らずにただ「浪人!?すごいね」という人もいます。ただ実際は、今と昔の受験事情は異なっていて、謙遜でも何でもなく僕たち浪人生からしたら、浪人ってそんなすごくないのになと感じるわけです。

The・参考資料

一応参考資料を添付しておきます。ちなみにこの動画初めて見たのは僕が現役だったときなので、当時の僕はこの動画を見てなお浪人することにしてます。ただ、浪人する上で決め手になったことの一つではあるのでついでにあげときます。今見ると、馬鹿みたいに気持ちが分かって普通に効きます。
ちなみに落ちるやつが三割なのは割とガチです。浪人しても成績は上がりません。この動画を見て駿台で友達作んなくて良かったとは思ってます。

現役時代の話

僕の浪人時代を話す前に、現役時代の話をするのが筋ってもんだろってことで、現役時代のことを書きますが特筆すべきことは何も無く、ただ自分が自分自身に対して胡座をかいて、何もせず受験を甘く見て、受験まで来てしまったと言うだけです。高校の頃は課題もろくにやらないのに、友達と遊んでばかりでとても自称進学校の受験生とは思えない生活をしていました。せめて白紙で英語の課題出してそのことを直接英語の先生に怒られる前に、ちゃんと勉強しろよっと当時の自分に言ってやりたいです。

現役時代の3月

浪人するぞって事態をこの時の自分は結構楽観視していました。まあまだ国立の発表があったので。しかし、どの大学も落ちて落ちて落ちまくりました。行く大学がないことへの焦燥感だけが常に残っているにもかかわらず、何故か受かった友達と一緒にUSJに行ってます。馬鹿ですね。何も反省してない。浪人すればいいと思ってました。浪人するなと言わないですけど、もう少し重く考えろとは思います。見事に滑りまくり、後期埼玉大も滑ってしまいました。

浪人への覚悟を決めた話

ここで浪人時代に突入する前に、ぼくが浪人することを覚悟するに至った出来事を紹介しなければいけません。3年に上がったとき、僕はある数学教師に出会いました。僕はその先生との出会いを生涯忘れることができないと思います。その先生は、30代ぐらいの先生で高校の中ではもっとも若かった先生でした。その先生は、僕のクラスの数Ⅲを担当していて、とても面白くて、わかりやすい授業をする先生だなって思っていて、何度か質問にもいってましたし、文化祭実行委員だったので、行事でも関わることが多かったです。その先生も、浪人を経て東京理科大に合格し、今教師になっている人でした。僕がいざ浪人するかどうかという時期にたまたまその先生と校門で会い、浪人するか迷ってるという話をしたところ、「した方がいい」と背中を押したくれたことが今でも忘れられないです。「僕も浪人したから、今、教師をやっている。浪人することはつらいことだけど、無駄なことじゃない。」と言われた時、浪人しようという覚悟が決まりました。そして駿台を薦めてくれたのも先生でした。「浪人生になると、学校という縛る物がなくなる。朝起きれなくても怒ってくれる人はいないし、勉強する義務もない。だからこそ、塾には行った方がいい」とおしゃっていました。その先生は僕の生涯通しての恩師だと、受験に受かった今だからこそ思います。

駿台へ

駿台と言えば恐らく大学受験生のほとんどがその名を知っているような、受験業界の最大手予備校のひとつです。中でも駿台の特徴は、浪人生が多いことにあります。東大・京大を始めとした旧帝大、早慶上理あたりを目指す浪人のほとんどは駿台に入っています。「文系なら河合、理系なら駿台」と言われるように、理系科目が強いことも有名で、僕が駿台を選んだ理由の一つでもあります。ここまで聞くと駿台すごいなと感じる人が大半ですが、実情は全く違います。浪人生は、一回浪人しているわけですから、当然まともなやつが多いはずもありません。僕の代では、僕のいた校舎ではないのですが、塾内のゴミ箱にビール缶を捨てた事件が有名です。教務がぶち切れていました。他にも毎年の恒例行事はたくさんあります。駿台の各校舎にはフロンティアホールと呼ばれる談話室兼自習室があるのですが、毎年そこで騒ぐ輩が発生します。通称フロホ民。ただ実際は多浪生で余裕があるため騒いでる人もいるため、あながち全員が全員だめなわけではないですが、本当にどうしようもないやつも紛れ込んでいます。そんなこんなで現役時代を見つめ直してしっかり授業聞いて絶対合格するぞと入った駿台には、駿台を大学かなんかと勘違いして髪を染めたり、授業を春からブッチして騒いでる馬鹿どもが多かったです。しかしながら、そういう人に限って消えるのは早く、6月頃にはもうタブレットでノートをとる人(僕はノートじゃないと真の学習効果は得られないと考えてる派です。)や、髪を染めてる人、騒いでるやつは湿気と将来への絶望にやられたのか校舎から少なくなっていました。もちろん、染めてる人の中には真面目に授業最後まで受けて成績も良かった人もいます。ただ、消える人の方が圧倒的多数でした。

駿台で学んだこと(その1)

1つめは科学者的な思考と物理を今学ぶ意味です。1つといいつつ2つです。これにはシュレティンガーの猫もにっこり。というのもこの二つは同じ本から得た学びであるため、ひとつの話にまとめざるを得ないのです。先ほどもいったように「文系なら河合、理系なら駿台」という言葉があるわけです。これは、駿台での理系科目(特に物理)が、高校範囲から逸脱しアカデミックな学びを得られるからに他ならないからです。俗に言う駿台駿台物理というやつです。で、その駿台物理の最たる存在が山本義隆先生の「新・物理入門」(駿台文庫)です。内容は大学1年生と高校物理のちょうど中間のような感じのものですが、前書きや随所に書かれている注意書きには、常に物理の原点を見つめ直し勉強の先にある研究までを見据えた物になっており、とても勉強になります。僕は、この本の前書きに物理のなんたるかを教わりました。特に気に入っている一節を載せておきます。

□高校生とりわけ受験生用に書かれた物理の参考書の大多数が、一方では一個の整合的な体系をもち、他方では現実自然により検証されている物理学の論理性と実証性を完全に無視し、天下り式に書かれた「公式」なるもののバラバラな羅列と高々それらのあてはめのテクニックに終始している。それは、手っ取り早くものにしたいという受験生の心理に付け込んでの結果であろうが、現実には「自然科学」というよりは恣意的なルールに基づくパズル解きゲームの様相を呈し、そのため学生にもっぱら混乱と物理学に対する興味の喪失、ひいては嫌悪感すら生み出している。
□好き嫌いは人さまざまだから、別段、物理が嫌いでも構わないとは思う。しかし、現実に物理を選択しなければならない学生にとっては、これはなんとも困ったことだ。というのも、何の学問であれ、学習効果が上がる唯一の方法は、たとえ遠回りに思えても、興味をもつこと、おもしろさを見出すことだからである。ところで、物理のおもしろさは、その厳密で一貫した論理性・体系性と、経験的自然に対する見事な説明能力の両立性を知ることにある。つまり、これまでやみくもに丸暗記させられてきた「公式」なるものが、実は原理から論理的・数学的に導き出されるものであり、同時にまた、物理的現実をよく表す法則の一表現形式であることを納得したとき、はじめてその面白さがわかる。
□その上で、つまり諸法則に対し、前提と導出過程、従ってその適応範囲を理解した上で、実際にいくつかの問題に適応してみることで、それらを自由に扱えるようになったとき、はじめて物理がわかったといえるのである。略
□筆者は自然に対する物理的な見方が最も優れた見方だとも、ましてや唯一の見方だとも思わない。しかし物理学が近代において最も成功した学問であり、他の諸学問も多かれ少なかれ物理学に影響されていることは事実だから、その基礎概念と論理構造の初等的部分の理解は、どの自然科学を学ぶためにも、やはり必要とされるであろう。本書がその学習のための助けとなれば幸いである。
□何の学問でもそうだが、勉強とは教えられたことを受け身的に覚えることではない。本当に自分のものにするには、自分で主体的に考えなければ、それもうんうん唸って考えなけらばならない。もちろん、物理でもそうだ。その際、物理で考えるということは、実際に手を動かして計算し、その結果をグラフや図に表して吟味し、想像力を働かせて具体的なイメージをかきたてることをいう。したがって、本書を読むときには、目で読むのではなく、紙と鉛筆を用意し、計算はすべて手を動かして実行しなければならないし、その上で、思いついたことも実際にやってみることが大切である。そうすれば、また必要な計算能力もおのずと身につくであろう。
□その際、次のことに注意してもらいたい。物理学は、自然科学として現実的自然を扱うが、同時に数理科学として論理的な体系を有している。それゆえ、何からも導かれない出発点としての原理と、約束事としての定義と、それらから導き出される法則、および自然的事実としての物の性質を区別した上で、その関係を理解せねばならない。例えば「極板面積S、極板間隔dの平行板コンデンサーの容量がC=ε₀S/d」であることを知っているとはどういうことかを考えてみよう。
□そのためには電場が何でありかつ電荷がいかなる電場を生み出すのかという電磁気学の原理の認識、および金属とはどういうもので、金属を帯電させたとき電荷はどのように分布するのかという物の性質についての知識、加えて、この場合の具体的な電荷分布が作る電場を原理から導き出すことのできる計算能力と、作られた電場についての明確なイメージ、さらに、電場を記述する手段としての電位という抽象的概念の正確な理解、これだけを踏まえ、電荷を蓄えておくものとしてのコンデンサーにとって、その電荷を蓄える能力の指標としての「容量」概念導入の必然性の把握を必要とする。
□そのときはじめて、物理学が厳密な概念で操作し、一個の体系をもち、しかも現実の自然と密接にかかわる学問であることが、ほの見えてくるであろう。一口で言うなら、結果を丸暗記するのではなく、そこに至る過程とそれが表す物理的現実を理解することが大切なのだ。略

「新・物理入門」(山本義隆 駿台文庫)

うーん。打っててバカ長いと思いました。ただめっちゃいい話なんで特に文系の人ほど読んでもらいたいです。駿台で学ぶ駿台物理には僕も最初受け入れがたさを感じていました。微分積分を使い慣れていない僕からすれば、特に積分を用いたときに訳がわかんなくなり、授業について行けるか不安になっていたときに、この序文を読んだことで、手で計算し物理を学んでいくことの重要性を理解し、微積分を用いることへの嫌悪感がきれいさっぱりなくなったのです。視界がパッと開けたような感覚でした。この本に出会えてほんとに感謝しかありません。そんなこんなで、駿台で学んだこと(その1)でした。

駿台で学んだこと(その2)

2つめは誠実であることです。これには駿台で出会った人生の中でも最も素晴らしいといえる先生との出会いが隠されてます。駿台での授業が始まって、1週間経ったある日、その日は強烈に印象に残っているので水曜日であることは覚えています。駿台は朝9時から夕方16時まで6限分の授業をするのですが、たまたまその人の授業はその年の授業が始まってから一週目の最後の授業でした。授業が始まる前に突然教務さんが、教室に入ってきて「次の授業担当の齋藤英之先生は例年合わなくて授業を切る人も多いほど厳しいです。しっかり覚悟を持って、授業を受けてください」というのです。その授業だけ特別に教務さんが忠告したのです。若干教室内がピリつきつつ、始業のチャイムとともに先生が入ってきて、3枚のプリントが配られました。そしてこう言うのです。「私は駿台では唯一指名形式の授業をします。この三枚のプリントを1字1句隅々まで覚えてきてください。次回からの授業にはこの三枚のプリントを必ず持ってきてください。」とぶっきらぼうな感じで授業が始まりました。そこから地獄が始まったのです。本当にテキストの問題を前から当てていくのですが、100人教室の半数ぐらいになるまで質問の正しい答えが返ってくるまで当て続け、間違った生徒には手元の名簿にシャッッシャッと×をつけていくのです。しかも名前だけ当てて他には何も言わずに、初日はたまたま後ろの方に座っていたため当てられることはありませんでしたが、翌週には半数近くが授業を切っていたのです。僕はそんな英先生の授業の緊張感と質問に正答できない悔しさがはまり、2週目以降も残りました。僕の文章力では英先生の怖さが伝わりきらないと思うので、駿台の学生が編集しているwikiの力を借りようと思います。

https://pchira.wicurio.com/index.php?%E9%BD%8B%E8%97%A4%E8%8B%B1%E4%B9%8B

・師は初回授業で高卒生に対して「昨年は自己流で勉強してこの結果(=浪人)になったんだろ?俺の言う通りの勉強方法をしっかりやれば今年は成績は伸びる」とおっしゃる。1年ぐらい騙されたと思って実践しろとのこと。実際ヒデプリ(後述)をしっかり暗記して活用できれば成績はかなり伸びる。その通りである。
・授業では基本事項や覚えるべき動詞を4〜5枚のプリントにまとめて配布し、それを覚えさせる。このプリントは通称ヒデプリと呼ばれる。授業でもこのプリントを使う。
・プリントには、主要な文法や構文の意味が細かく載っていて、それらを覚えるように指導する。
・特に特徴的なのが動詞のプリントで、5文型動詞のそれぞれの意味、用法などが米粒に書くような字の大きさでギチギチに載っている。初見のインパクトは大きく、このプリントに心を折られる生徒も多い。
・最近は字を小さくしすぎて本人も見間違えるレベルで字が小さい。
・授業では「be toの意味を5つ答えてね〜」などと聞いてくる。一つでも答えられない場合は勿論、プリントに載っている順番通りに答えられない場合も間違いにされる。
・プリントを完全に暗記したことを認知されるとプリントの内容以外(語彙や言い換えなど)を中心に当てるようになる。
・終講日にはヒデプリや授業でやった内容を盛り込んだ、100個の英文が載ったプリントを配ってくれる。文のポイントとなる部分が何か分かるかどうかの確認用(例えば分詞構文の種類&意味など)で、全訳までしておくと師の授業の良い復習になる。
・プリントを配る際、枚数を数えないで適当に配るためどこかの列で必ず過不足が生じる。その時、生徒同士でうまくコミュニケーションが取れずにもたついていると「ここは幼稚園かよ~。」「これで1時間終わるのかー。」などと言う。
・最初の授業では、単語レベル、文レベル、パラグラフレベル、文章レベルでの勉強が必要であると仰る。ただし、単語レベル、文レベルを土台としてパラグラフレベル、文章レベルの学習をする必要があるため、まずは構文を徹底的に重視する授業をする。師いわく、文レベルですらまともにできない奴が多すぎるらしい。
・師の授業の最大の特徴は生徒を指名することである。師曰く「今の駿台では唯一教室の全員を指して答えさせる」らしい。
・座席表を忘れたときは勝手に廊下の座席表を持っていってしまう。そのため、師が授業するでは、クラスではクラス担任が予め予備の座席表を用意していることがある。
・生徒を指名するために、クラス担任に名前入りの座席表を作らせたり、ひとりひとりにプロフィールシートを書かせたりする。
・そのプロフィールシートには通っている高校や志望大学などを記入する必要があり、記入していないなどの不備があると指名の際に聞かれる。
・質問のレベルは指す生徒によって左右される。質問になかなか答えられない生徒には基本事項を問い、よく答えられる生徒には設問の解答の根拠や指示語の該当箇所などを問い、その生徒に見合うレベルの質問をされる。
・質問に答えられないと、鉛筆で座席表やプロフィールシートに×印を付ける。その時、大部分の生徒は心を折られる。
・師に×を書かれることが少ない人は、途中から当てられる回数が極端に減る。逆に×を書かれることが多い人は、1日に何回も当てられることがある。
・指名された際、返事をしない生徒に対しては容赦なく「ボッチ」認定をする。予備校では勿論のこと、大学に行っても苦労するだろうという師からの警告である。
「お前ら勘違いしてないか?理系はボッチだと卒業出来ねぇ!私文は4年間ボッチでも卒業出来るけどよ!」
・最前列は特に地獄である。ヒデ師に至近距離で挙動の一つ一つを見られているので少しでも違和感を感じ取られるとすぐに指名が飛んでくる。例えば指名された時、師の指示とは違うページを見ていたりすると「帰れ...」等と言われてしまう。
・欠席のふりをしても無駄である。全てを見透かされているため、素直に返事をするのがオススメだ。(経験談)
・当てられて間違えたことはかなり覚えているものである。プロフィールシートに×がついてしまった時、すぐにプリントや師の言葉を頭に叩き込むと、失敗から学ぶことができる。
・師の話を聞いていないと判断される(指名の際に師の指示と異なることを答えたり、質問を聞き返すなど)と、名指しで怒られる。
・またプロフィールシートの該当者がいなかった場合、(病欠の場合も含めて)授業を切ったと見なされ、プロフィールシートは捨てられる。「あーあ、こいつは消えたか・・・・。」
・ただし、欠席に正当な理由があれば、後日師に申し出ることで指名に復活することができる。
・質問に対する正答率があまりにも低いクラスの場合、当てる人を選別することもある。
・ひどいときは、指す人が少なくなりすぎて特定の人が連続で指されることもある。
・師曰く「ライブ授業で当てなければ映像授業と一緒である。」実際は当てなければ時間が余るというのもあるらしい。師なりの時間の使い方である。
なお、2次私大演習など、テスト演習型の授業では時間の都合上当てずに授業する。その分速く進むため、授業が異様に早く終わることもある。当てない場合の授業の進め方を忘れてしまったのだとか。
・ちなみに師は人気講師の基準を「黒板に大量の板書を書く、つまり生徒の前で凄いことをやる講師」と考えているが、そのような授業は上っ面で嘘くさいと感じており、指名方式の授業を行っているらしい。
・指名する際「太郎」という名前の生徒がいると、「太郎くん、多浪しないでね・・」というどぎついジョークを飛ばすことがある。それに加え、指名された時に「去年もこのクラスにいたから答えられねーなんてことはねーだろうなぁ?」とも言われ、そこでクラスからは多浪生であることがバレる。
・ヒデ師の授業を最後まで受けきった人は、今後の人生でどんなに厳しい授業を受けても対応できるメンタルができあがるだろう。
・講習であっても容赦なく当てていく。 ただし直前期のみは当てない。
・1日目の1時間目終了後と2日目に人が減るのはご愛嬌。
・そのため、講習や通常授業では「私は、マジシャンです。人を消す能力を持っています。」と、少々自虐的な言葉を入れてくる。
・ちなみに指名形式をする自分の授業スタイルについて、こんなのウザいに決まってるんだよ、と自分で言っている。「保護者には言うなよ」が口癖。
・雑談もちょくちょく挟む。雑談はセンスが良く、生徒の笑いを誘っている。雑談の反応が良いクラスでは機嫌が良い。
・ただ雑談から授業に戻る時のタイミングがいつも速い…
・また授業では受験生の生活態度や勉強法に言及することもある。
・過去問を使用し始めるのは、私立は早くて11月、国公立はセンター後でいいと仰る。理由は、過去問は問題の傾向を把握するために使用するもので時間をかけて取り組むものではないため、また、国公立はセンターの結果で志望を変えることがあるため。
・質問にはきちんと答えてくれる。その際所属や名前を聞かれる。
・最近では名前を把握していない生徒に対しては、「んぁ〜⤴?誰キミ。」と反応する。
・但し、師が名前を既に記憶している場合は聞かれない。
・なお、講習期間中は通期教材に関する質問を一切受け付けないことを宣言している。このため、終講日には2時間以上の質問待機列ができることもある。
・基本的に他講師が担当の授業の質問は受け付けない。ただし、その授業の講師に質問したが納得できないため齋藤師の意見を聞きたい、ということなら質問に答えてもらえる。
・授業時での師の雰囲気から、たいていの人は最初に質問に行く時はとても緊張するそうだ。授業中の雰囲気程は怖くない。
・終講が近づくと、前に授業がない日には質問受けるために早めにいらっしゃることもある。
「質問受け付けようと思って早く来たのに誰も来ねぇからつらいぜ。」
・最近は、講師室以外でも質問を受け付ける。ヒデは丸くなったのかもしれない。時と場合によるのかもしれない。授業が終わってすぐ生徒が追いかけに行き、講師用エレベーター前で質問に答えていた。
・授業態度の判定がほかの教師に比べやや厳しい。
・頬杖をついていたりたりイスに偉そうに腰掛けてると「お前偉そうだな」などと言われる。他の師はそこまで授業態度に口を出さないとは言え、上記の行動は誰が見ても不快感を覚えるものなのでヒデ師に限らず控えた方が良いことではある。
・師の授業で遅刻は厳禁。電車の遅延を除き、途中入室は認めてくれない。
・認めてくれるまで粘ろうとしても怒鳴られるだけで無駄である。
・授業中の居眠りや内職も厳禁。見つけ次第、強制退室させられる。
・そもそも緊張感が凄まじく、とても寝れるような環境ではない。
・授業中の水分補給は許されるが、ガムを噛んでいたりすると注意される。
・また、授業の2、3分前に師は既に廊下で待機しており、その時に授業を切る生徒が出て行くのを目撃するととても機嫌が悪くなる。特にギリギリで退室すると「とっとと出て行け!」と怒鳴られる。
・それ故に、休み時間におけるクラスの騒がしさも注意なさる。
・師が授業中、廊下が騒がしいと教室から出て行き、廊下で騒いでいる生徒を恫喝しに行く。師の授業している教室付近での私語は禁忌。(まあそもそもこれは師の授業に限った話ではなく、授業中の教室の外では静かにするのがマナーというものだろう)
師が構文教材の授業を担当なさった場合、前期の最初はとても遅いスピードで授業を進める。2021年度の某クラスでは1ページ終わらせるのに第8回までかかった。しかし、そこからは生徒が質問によく答えるクラスだととてつもない進度で進み、最終講までに終わる。逆に無口を貫く生徒やプリントを覚えない生徒が多いクラスは勿論のこと終わらない。
・師が構文教材を担当する際、卓上に電子辞書を置いてはいけない。授業中に調べることは禁忌。前もって調べるのは予習段階でやることなのだそう。後期から授業を受ける人などは注意しよう。
・以上より、英語が苦手だがなかなか捗らない人は、切らないでしっかり受けたほうがいいと思われる。当てられるプレッシャー故よく勉強するようにはなる。そもそも受験生は志望校に受かることが目標である。
・また信者のようにヒデを崇拝する受講生も多い授業である。
・師が求めるレベルは高く、授業はメンタルを削られることが多いが、ヒデプリを暗記し師の授業に喰らいつき実践していけば必ず成績は伸びることができる。
・駿台で唯一の指名形式の授業スタイルで30年以上教えているベテラン実力派講師。そして駿台屈指のアククセともいうの強さを誇る講師である。
愛称はヒデ。色んな意味で駿台の名物講師の一人。出講しない校舎の生徒にも名前が知られている。
・芸風はハリウッドザコシショウ。
非常に大きな声と師独特の誇張のセンスと体を張ることで成される芸は時に生徒の大爆笑を誘うことも、多大なる絶望感を与えることもある。
ここは例年!旧帝大に誰一人として受からない、SIだあああああ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」(SIの後期1回目の授業の冒頭で)
・受講者の好き嫌いがはっきり別れる講師の一人。いわゆる信者のように好む者もいれば、指名形式の授業を嫌う人も多い。そして授業を切る生徒が後を絶たない。いわゆる人気講師ではない。しかし、そのような授業をすると人気が落ちることは本人も承知しており、自分の人気よりも生徒のことを考えて授業をすることから、何だかんだで生徒思いの良い師だと言える。何回か個別で質問したりすると、体調を気遣ったりしてくれる。ツンデレなのである。
・ヒデプリを他の英語の授業で出している人も多く見られる。
・実際駿台在籍時、ヒデ師に教わっていた卒業生の中にもヒデ師を尊敬する人もかなりいる。
・2022年度9月末現在、前年の卒業生が19人、ヒデに挨拶をしにきたそうだ。一番多かったのは6〜7年前(2016〜2017の67人であるそうだ(本人談)。挨拶をしにくる人の名前はさすがに覚えていないようだが、人数を覚えているのは、どこかにメモしてあるからなのだろうか。地方国立に行った生徒がその地域のお土産を持ってきてくれることもあるそうで、「別にいらねえんだよ、土産なんか」とぶっきらぼうに言いながらも、嬉しそうだった。
・2016年の夏期講習では、大宮校で「スーパー英語総合」が締め切ったが、このようなことは十何年ぶりらしい。師曰く「ひどい時には20人ぐらいしかいなかった」そうで、不人気であることを嘆いていらっしゃる。不人気を嘆いているというよりかは、指名形式の授業から逃げる生徒への皮肉のように聞こえる。
・ヒデの授業の最初の挨拶は、他の講師のそれよりも生徒の声がよく聞こえる。(授業の雰囲気からだろうか)
・そもそも初回授業で挨拶の声が小さいクラスでは「大きな声で挨拶しろ~!」とキレるため、2回目からは必然的に声が大きくなる。
・2回目以降も挨拶の声が小さいと、「なんだよこのクラス、挨拶もまともに出来ねぇクラスなのかよ」といって嘲笑する。
・現役・高卒共に医系の授業を多く受け持つ。
・かなり毒舌で、しかも常時ニヤニヤしているのでなおさら恐怖が増す。さらに、声質の問題もあり、普段から怒っているかのような印象を与える。
・医学部志望の集まる市谷校舎ではより一層厳しく、怒鳴り声が隣の教室に聞こえることもしばしば。
・口癖は「これは、前期のn回目にやったろー!」「さっさと覚えろ!」「○○な訳ねえだろ!」「どうしょうもねぇ!
・他にも「こんなのも分からんで何が国公立だ。馬鹿ども!」「このクラスで○×大学に受かる奴がひとりでもいれば大万歳してやろう。」「そろそろ現実を見て、受けたい大学じゃなくて受かる大学を考えなさい。どうせ君たちが考える大学には受からないんだから。」「私立獣医を全校受ける奴は大体全落ちする。」「お前ら駿河台大学でも行くんか?あそこはいいぞー自然は豊かでテレビのロケをしょっちゅうやってるから。まあどFランだけどな」
・一部の講師からは、「恫喝するだけで中身を伴わない授業」と批判する声もある。恫喝するだけでも人格が疑われる上、丸暗記を助長しているとの声も一部にはある。
・ただ、ヒデ師はよくキレるが、講義内容以外は常識的なことを言っていることも多いので気構える必要はまったくない。授業の性質上アンチが増えているだけで、師本人に対するアンチは多くない。とは言いつつ、上記のように笑えないジョークを個人に飛ばしたり、悪くない(優秀な)生徒がいても一括りでクラスごとキレてくるのでその点はどちらが良いか好き嫌いが分かれるだろう。
・師はアウトプットを重視しているために指名し、本番の時に緊張しないように緊張感のある授業をしている。世間一般にキレるのもおそらく生徒のことを思ってやっているのであろう
・また名門高校出身のプライドの高い浪人生をよくイジる。理由は名門高校出身者の浪人生は学力の割にプライドが高く努力をしないからだとか。さらに中高一貫出身の生徒特有の中学英語の穴の多さについて良く言及なさる。中高一貫生は高校入試をパスできるので中学英語を必死で復習する機会を失っていることが原因だという。
・また、ヒデ氏曰くモンペが増えている時代であるらしく、(キレた生徒の親からのクレームの)処理が大変なんだとか。
・ヒデプリの該当ページやプリント名をかなり早口でしゃべるため、途中で追いつけなくなる生徒が多い。それが理由で授業をきる生徒も、それなりにいる。
「道具のプリントの、〜〜〜〜4番」(〜は聞き取れない部分)
実際暗記していくにつれて、はっきり聞こえなくても、不思議とどこの場所のことを言っているのか分かるようになる。そこまでヒデプリを暗記しろということなのか。というよりも、予習の段階でヒデプリの何処の場所が言われるかを把握できるぐらいまでヒデプリを覚えるべきである。
・中央大学法学部出身という珍しい経歴。
・真面目な生徒にはとても優しい。体調を気遣ってくれたりする。
・プリントを覚えない生徒に対し、「ポケモンGOにじゃなくて齋藤GOを電車の中でやれ」と訳の分からないことを言っていた。
・大宮駅東口にある某タピオカミルクティー屋に並んでいる学生をアホだと仰っていた。大宮校近くにある某高級食パン屋に並ぶ人のことも同様に仰っていた。
・「地道にやらなきゃいけねーんだよ」ともよくおっしゃる。
・某クラスでは一部の有志の生徒(プリントをきちんと暗記して、解答意欲もある)十数名が「当てない授業だとわざわざ出ている意味がない」として、師に直接、指名を懇願しに行き、名指しでの指名が復活した。
そもそもヒデ師を呆れさせる引き金となったきっかけは、ヒデ師の勘違いの節もあり、もともとそのクラスの出席者は解答しようとする真面目な人も多く、クラスの雰囲気は悪くはなかったこともある。その情報(懇願しに行ったという情報)が1号館の他クラスにも伝わり、多くのクラスで同じ現象が起きた。師がとれだけ慕われているか分かるエピソードであると共に「今の浪人生もなかなか捨てたものではない」ことを示すエピソードでもある。余談だが、有志の生徒が懇願しに来た際、ヒデ師はとても嬉しそうだったとのこと。やはりツンデレ
・師は正直者である。故に担当しているコースの合格実績を危機感を煽る目的で暴露する。「俺は市谷も担当してるけどよぉ、あそこのSC以下は誰一人国公立医学部受からねぇぞ?ここのコース(S難)だって工学院や電機大に行くやつもゴロゴロいるんだよぉ!」実際師が予言したそのとおりの合格実績になるから凄い。「早慶コースなんてMARCHに行くやつが多いんだよぉ。でも名前をMARCHコースにしたら人が集まらねぇ。」と身も蓋もない事を言っていた。
・師が態度の悪い生徒やボーっとしている生徒の真似をすることが多々あるが非常に洗練されていて面白い。
・最近の傾向なのかもしれないが、師は説教するときな必ずと言っていいほど大声を出すことはない。どちらかといれば予想不能なタイミングで突然大声を上げることが多い。
・2019年度市谷校舎前期最終講(補講)にて、SCクラスの生徒達(最後まで師の授業に耐えきった者達)が伝統に則り授業後拍手をした際に師が「拍手は担任に言われてやるものでは無いから本当に受けて良かったと思える先生にだけ自分の意思でやれ」と仰った。教室に今までで1番大きな拍手が響いた。
またこの授業中、ヒデ師は黒板を強く叩きすぎてしまい、頭上に置かれた時計が上から落下するアクシデントを起こした。この授業は、なかなかの神回であった。前期終講の時2号館の某クラスで机の上に師へ向けたお土産が置いてあり、それを発見した師は感極まって泣いておられた...訳もなく「毒入れてねぇだろうな!」と最後まで師らしいコメントで笑いを取りながら前期終講の幕を閉じられた。
・師の授業は、受けている時こそ嫌悪感を強く持ちがちだが、入試が終わり大学生になった頃には、それが生涯の思い出となり、受講できないのがかえって寂しいと思う人が出るほどの影響をもつ。不器用なだけなのだ。大学の英語の授業が指名がないからか物足りなく感じる。発表等はあるが、ヒデほどの緊張感は感じない。

お茶飲みwiki

また長くなってしまいました。英先生の元には毎授業終わった後いって質問し、自分に何が足りなかったのかを徹底的に分析し、次第に英語の成績も上がっていきました。英先生は怖くて授業を切る人も後を絶ちませんが、その怖さは生徒を思ってこその怖さであり、ときに人として誠実であるように努めようとすることが社会に出ても大切であることを認識させてくれました。この授業のおかげで今も大学の授業にはできる限りでようと思って入れています。授業をしてくれている人はわざわざ自分たちのために時間を割き、真面目に授業しているのだから、それに答えて真面目に誠実に授業を受けることを目指したいなと感じる授業でした。
また、僕の中で印象に残っている言葉があります。
「英語の勉強は、楽器やスポーツの練習と一緒だ。毎日続けなければ結果が出ることはない。」
その通りだと思いました。僕は英先生から、何事も根気よく続けることの大切さを学びました。英先生の僕のクラスでの最終講は実に和やかな雰囲気で終わりました。今でも忘れられない思い出です。

The・あとがき

テストが燃えてる

あのここまで書いてなんなんですけど明日の化学のテストが燃えかすになってました。もう寝たい。誕生日なのにこの仕打ち。大学を許すことはできない。ぶっ殺してやりたい。

最後に吹団の話

ここまで浪人時代のことについて書いてきたんですが、まあ長いこと。
ってかもっと書きたい。でも文才がない。大変だ。
って訳で最後に吹団の話なんですけど、浪人の話を結構意気揚々と書いてるんですけど、実際今も昔も浪人って毎日毎日、朝から晩まで授業受けるか、自習室に籠もって勉強しかしないで、心が徐々に壊れていきます。日曜日も自習室にいくんで髪を切りにいかない。友達もできないので家族以外と話さない。あげく、高い塾代を払って親に迷惑しか掛けてないのに、勉強をしなければいけないから、バイトもできない。しかも、来年受からなかった場合のことを考えると、ゴリゴリ精神が削られていく。正直思い出したくない記憶です。そして、いざ大学に入っても他の人より1年年上なのは地味に心に効いてきます。入ったときは不安しかなかったです。でも吹団の人たちは分け隔てなく接してくれて優しいしおもしろいし、居場所というものを感じられました。去年の最後の方に同じ高校から浪人した友達に、「浪人の最後のほうはお前暗すぎて正直避けてた。」と言われました。正直、浪人の最後の方は死んだ魚のように勉強し、ネガティブな言葉しか言ってなかったです。そんな自分を吹団という場所が受け入れてくれたことには、ほんとに感謝しかないです。本当に救われました。先輩方の引退さみしいです。ありがとうございました。打楽器の皆さん優しく接してくれて、いろいろなことを教えてくれて、ほんとに感謝してます。これからも頑張っていきます。

最後に

浪人したほうが良かったと思うかってよく聞かれるんですけど、それを決めるのは大学出て社会に出てその経験が生きるかに掛かってます。まだ道半ばです。ただ、貴重な1年だったこと得た物があったことは事実です。それを大事にこれからも前に進んでいこうと思ってます。普段はバカですが、いざって時には、俺も支えるんで、支えててもらえると嬉しいです。長くなりましたがテストもやばいので終わります。

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