「今まで関わってくれた方への感謝の気持ち」 2年 松尾 礼奈
こんにちは。日本体育大学ソフトテニス部2年の松尾礼奈です。今回、「感謝を伝えたい人」というお題を担当させていただきます。
この19年間を生きてきた中で、感謝をすべき人・したい人は数えきれないほどいます。たくさんの方々に感謝を伝えたいところではありますが…。今回は、高校のソフトテニス部顧問である川﨑先生へ感謝を伝えたいと思います。
私は宮崎商業高校で3年間、川﨑先生のご指導の下ソフトテニスをしてきました。この高校で過ごした三年間は、本当に濃くとても充実していたと思います。私は高校から下宿という形で寮に入ることになりました。私の地元はものすーーごく田舎で、コンビニも1つしかないようなところで、あとは田んぼばかりです。
だから、女子の流行にもついていけなかったですし、生きていく上での知識というか勉強以外のことをあまり知りませんでした。なのでよく川﨑先生には「いなかっぺ」とか「ぷーかす」と言われていました。ちなみにぷーかすとは、ぷーでカスという意味です(笑)。
そんな田舎からでてきた何も知らない私を、1年生の時から根気強く指導してくれたのが川﨑先生なのです!
今振り返ってみると、いろんな失敗ややらかしをしてきたな~と思います。そのたびに川﨑先生から怒られたりいじられたりしてきました。特に印象に残っているのは、遠征先での出来事です。ハイエースでセルフ式のガソリンスタンドに行ったとき、私はガソリンの入れ方を知らずにただ挿入口につっこんでいたことがありました。そのため、ガソリンがずっと入らず「お前は何をやってるんだ」と言われたことがあります。
今では笑い話ですが、そういった身の回りの知識や、先生に対しての気遣いなどもたくさん叱られたことで身についたと感じています。
練習や試合の時も、「お前には自覚と責任感がない」と3年間言われ続けました。何回泣いて、何回もうテニス嫌だなと思ったことか…。それでも、最後の最後まで私を見捨てずに指導してくださったことには本当に感謝しかありません。ソフトテニスでは厳しい先生でしたが、寮では本当にお父さんのように優しい先生でした。先生のために野菜スープや湯豆腐を作ったことも良い経験でした。
そして、何といってもこの日本体育大学に入学できたのも川﨑先生のおかげです。ちゃんとしたところで本気でソフトテニスをするように勧めてくれたことで、今の自分があると思います。今は、本当に日体大でソフトテニスができて心から良かったです。
これから、少しずつでも恩返しができたらいいなと思います。川﨑先生だけではなく、本当にたくさんの人たちの支えがあったからこその今の自分です。両親や、今まで出会った先輩や後輩、同期と言う仲間、その他関わってきたすべての人に今一度、ありがとうを伝えます。
また、これから先もよろしくお願いします。
最後まで読んでいただきありがとうございました!