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「今まで関わってくれた方々への感謝の気持ち」​                              4年 黒坂 彩江


 こんにちは!今回担当させて頂きます、4年の黒坂です。

 今回のnoteのお題は【感謝をしている人】です。ソフトテニスを始めてまだ短いですが、感謝をしている方は多くいて、私は周りの方や環境に恵まれていると感じています。
あまりにも多いので、その中の誰にスポットライトを当てて話すのか難しいなぁ・・・と考えている所ですが、私が感謝を伝えたいのは家族です。まとまるか不安ですが、書いていきます!

 私がソフトテニスをはじめたきっかけは父と母の影響です。父と母も中学生の頃からソフトテニスを初め、ソフトテニスの魅力にどっぷりハマってきたようで、ソフトテニスという競技で青春をしてきたようです。父がソフトテニスで作ったコミュニティーのおかげで、小学生から大学生まで私が競技してきた環境は一流であったと言えます。

 私は中学入学時、高校入学時、大学入学時の進路選択をいつも二択で迷っていました。中学時は千葉の昭和学院中に入学するか埼玉の芝東中に入学するか迷いました。当時の私は昭和学院に入学したくてたまりませんでした (笑)。

 それはジュニアから仲の良い先輩が昭和学院中にいたからです。ですが、父と母は高校からでもその人たちとテニスができるという理由や、私立の中学校ということもあり、反対していました。また父と母が芝東中出身ということもあり、私は昭和学院中に行くことをしぶしぶ諦め、芝東中に入学しました。

 結果的には、全国中学生大会の団体で優勝し、普通の人では味わえないような経験をすることが出来ました。勉強もテニスもイマイチでチャラチャラし、グレかけていた私を手放さず、ソフトテニスの道に引っ張り戻してくれた木幡先生、本当にありがとうございました。また、たくさん褒めてくれて、たくさん話も聞いてくれて、たくさん見てくれて、熱心に指導してくださった熊谷先生のおかげで大きな功績を得ることができました。

 次に高校入学について、三重県の三重高校に進学するか、東京の文大杉並高校に進学するか迷いました。中学進学時に諦めた、大好きな先輩がいる三重高校に進学したくてたまりませんでした。それだけではなく、遠くの高校に進学して寮生活ってかっこよくね!? とも思っていました。また、口うるさい父と母から離れたいとも思っていて、三重高校に進学したい気持ちでいっぱいでした。

 ところが、またも父と母は私の希望に反対し、文大杉並高校を進めてきました。
 また反対かよ!と思いながら、担任の先生との4者面談を重ね、私が折れて東京の文大杉並高校に入学することになりました。

 父と母が反対した理由を今考えると、母の母校でもあるからなのかなと思います。文大杉並高校ではチームとして日本一の景色を何度も見ることができました。そこで私は素晴らしい先輩や可愛らしい後輩、家族のような同期に囲まれ、一流の監督コーチの下でソフトテニスを学び、人間力をつけることができました。文大杉並高校だったからこそ、私という人間を育ててくれたのではないかと思います。

 とても怖かったですが、花のような笑顔と素敵な言葉で大きく包み込んでくれた武元先生ありがとうございました。武元先生のおかげで私にはどんなことができるのか役割があるのかよく理解することができ、自分の存在意義を確かめることができました。

 担任の潤先生、やんちゃな私を大きな愛で包み込んでくれてありがとうございました。心配してくれて褒めてくれて…、第2のお父さんのような存在になりました。

 高校卒業後の進路選択では、大学に進学するか海外に語学留学をするか悩みました。私はこれまで続けてきたソフトテニスの道に終止符を打ち、海外に行きたいとお母さんに相談しました。すると、想定外に賛成してくれました。一方父は、ソフトテニスを続けてほしいという意見でした。これまでに私は多くの支援を父と母にしてもらっており、押し通すほどの信念がなかったため、ソフトテニスを続ける決断をしました。

 ここで初めて言いますが、日本体育大学に入学しようと思った理由は父と大学について考えている時、「日本体育大学って名前かっこよくね??」と盛り上がったからです (笑)。
セレクションの面接で背伸びしたことをたくさん発言しましたが、あれも本心です (笑)。

 日本体育大学に入学し、慣れない寮生活や高校時との上下関係のギャップ、レベルの高い競技環境に戸惑いを感じつつ、その場を一生懸命過ごすのに精一杯な日々でした。2年時は、その環境に耐えられなくなることもあり、やめようかと悩むこともありました。

 私は何事も深く考えてしまう性格で、その度に母に相談し、母の言葉に助けられていました。母の言うことはいつも的確で正しく、強くて可愛い母のように私もなりたいと思えました。
 今は自分の力で悩み事や物事の解決をできるようになれているのではないかと思います。

 現在私はソフトテニス部で主務・会計という役職を務めていますが、完璧にこなせるような器を持っていません。一生懸命にやることしかできません。ですが、この希少な経験をプラスに捉え、活かし、次の就職活動に向けて邁進していきたいと思います。

 私は、これまで経験してきたすべての選択に後悔していません。そう思えるように導いてくれた家族に感謝しています。今の私があるのは、今まで指導してくれた素晴らしい指導者の方々、そして今面倒を見てくださっている篠原監督のおかげです。そのすべての方々に感謝を忘れず、ラスト1年満足いくよう過ごしていきたいと思います。noteのおかげでたくさんの感謝を再確認することができました。ありがとうございました。

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