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【人生を変えてくれた方々】2年 岩浦 桜子

 今回noteを担当させていただくことになりました。2年の岩浦桜子です。よろしくお願いいたします。

 私は、小学2年生からソフトテニスをしています。当時の私は、大学でもこの競技を続けているなんて思っていなかったと思います。なぜなら、私は極度の飽き性だからです。そんな私がここまで続けているのは、恩返しをしたい人がたくさんいるからです。

 はじめに、ジュニア時代のコーチとして指導をしてくださった田原さん、青木さんです。炎天下の中、私にずっと指導していただいたことを覚えています。中学へ進学しても大会を観戦しにいらっしゃったり、宮崎でステップ4があるときも、緊張をほぐしてくださったりと、本当に大好きな方々です。田原さんは7年前に亡くなられましたが、帰省した際にはいつもお墓参りに行っています。青木さんは、お会いしていませんので、行きたいです。

 私が中学校に上がったとき、前衛になることを勧めてくれた方がいました。のちに、その方の高校で私は、濃い3年間を送ることになります。ほかにも、県選抜の先生方や市内の先生方が、中学校の顧問の先生に、岩浦を前衛に変えてくださいと頼み込んだということを聞いたことがあります。さらには、ジュニア時代のコーチであった田原さんや青木さんも頭を下げたと聞きました。

 前衛に変わってから、私の世界は変わりました。高校の練習に参加した際に、ゼロから前衛の基礎を叩き込んでくださった川﨑先生(宮崎商業高校監督)、大会前にもかかわらず前衛にさせると判断をしてくださった中学校の顧問の先生、前衛についていろいろ教えてくださった多くの先生方。たくさんの方の教えや支えがありました。前衛になっていなかったら、U-14の経験はできなかったと思います。

 高校は地元の宮崎商業高校に進学しました。小学生のころから川﨑先生や川﨑先生の奥さん宮崎商業高校OGの方にお世話になっていたというのもありますし、何より宮崎県に恩返しがしたいという気持ちが大きかったです。川﨑先生、山口先生、那須先生、特にこの3人の方に感謝しています。生徒を自分の子供のように扱い、愛のあるご指導でした。技術面だけではなく、人間性についても指導していただいて、社会に向ける目の色が変わりました。また、普通の高校では経験できないような有名な指導者の方々にも、ご指導していただき、先生方のつながりに感謝しています。

 大会が来るたびに、先生の喜ぶ顔見たさに、必死になっていました。この3人の方々にお世話になっていなかったら、ここまでテニスを続けていなかったと思いますし、人として変わることもできませんでした。私は、やれるのにやらないから、お前を見ていると腹が立つと言われたことがあります。この言葉を言われると傷つくと思うのですが、私は逆に「まだやれるんだ、まだ始めていないのか」と励みになります。特に、気持ちが落ちているときに思い出すと、かなりモチベーションが上がります。

 最後は家族です。家族に弱音は吐けないタイプなのですが、少し私がネガティブな発言をすると、すごく長文で返してくれます。めったに弱音を吐かないからこそ、ちょっとしたサインに気付いてくれます。いつまでも私の味方でいてくれる存在です。妹に関しては、最近行われた大会で結果を残したので、先を越されたという気持ちと、おめでとうという気持ちがあります。姉妹でこれからも切磋琢磨できたらなと思いながらも、妹の存在に感謝しています。

 関わってきてくださった多くの方々により、私の人生は大きく変わりました。平凡に生きるのも悪くないと思います。一方、誰かのために頑張ることはきついかもしれないけれど、かなり精神的な支えにもなります。私は、地元の宮崎県が大好きです。胸を張って宮崎に帰るためにも、これまで続けてきたソフトテニスで結果を出します。

 卒業後は、宮崎県で教員になり、日体大で学んだスポーツの面白さ、難しさを教えながら、ソフトテニスの楽しさや、努力することの大切さを伝えていきたいです。川﨑先生のように、ソフトテニスを通して、人としての在り方、社会に出るということの責任感も伝えることが、私の最終的な目標でもあり、夢でもあり、地元宮崎への恩返しだと思っています。

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