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《はじめての長い休憩》2年田中穂香

こんにちは!今回noteを担当します。2年の田中穂香です!最後まで読んでいただけたら嬉しいです!


今回のテーマを聞いたときモットーってあるかなって考えて結局出てこなかったです笑
だから、私が体験した1番の出来事についてお話ししたいと思います。


高校3年生の3月7日。
私は日体大で練習をしていました。
練習終盤の紅白戦。私は左サイドでプレー。
相手に対応しようとして止まり、右に切り返えした瞬間グラウンドに倒れていました。
膝の中で聞いた事のない音がなり、全身の力が入らない。膝が痛くて呼吸ができない。このとき初めて過呼吸になりました。
担架で外に運ばれ、周りには多くの人がいて、自分の上にはたくさんのベンチコートがありました。
少し落ち着いた頃に当時のキャプテンのとみちさんが「大丈夫」と声をかけてくれました。大丈夫って信じたかったけど「大丈夫じゃないよ」と思ったのが正直です笑

次の日監督と一緒にMRIを撮りに病院へ。


診断は、左膝前十字靭帯断裂
    左膝外側半月板損傷
    左膝内側側副靱帯損傷。


分かっていた結果でした。
でも実際に診断名を聞くと勝手に泣いてました。現実を突きつけられた気がして。しかも半月板がロッキングしていて、なるべく早く手術した方がいいとのこと。状況を呑み込むことは出来なかったです。

怪我をして2週間後1回目の手術。
初めての手術でものすごく怖かったです。手術が終わり、松葉杖生活スタート。
約1ヶ月半松葉杖で生活して周りの人にものすごく助けられました。荷物を持ってもらって、送り迎えをしてもらって。歩くペースを合わせてくれました。この時の罪悪感はものすごかったです。
この時部活には行っていませんでした。
行けたけど行きたくなかった。
みんながサッカーしているところを見たくなかったのが正直なところです。

大学1年生の6月、2回目の手術。
前回の手術より大きな手術でした。
1回目と、同じぐらいの痛みだろうと思い臨みましたが全くの別物で夜は痛みで全く寝れないほどでした。
夜は、「こっから約8ヶ月かー」「サッカーできるようになるのかな」などを考えていました。

昼間には同期が2人お見舞いに来てくれて入院期間で1番元気な瞬間だったと思います笑


約2ヶ月ぶりにグラウンドに行き練習を見ているとやっぱりきつかったです。8ヶ月もサッカーができない。なでしこリーグもカンカレも、インカレも全部終わった頃に復帰目標が設定されて正直絶望でした。

でもやるしかない。待ってるよと言ってくれる人達が沢山いたおかげで結果として戻ってこれました。

復帰戦が終わった後は色々な人から、「おめでとう」「おかえり」「頑張ったね」と言ってもらえて泣きそうでした笑
実際ちょっと泣きました笑

リハビリもずっと順調だったわけではないし、今も全く痛くないわけではない。でも今は、こうして90分間プレーできるまで戻ってこれた。

この大怪我を経験して私が思ったことは、
先は見ずに今を見る
という事です。

この怪我をするとどうしても何ヶ月後は何ができてるかなとか、後半年もリハビリか、と考えてしまう事が多かったです。でも先を見たら当たり前に長い道のりで、やる気が損なわれるだけ。先は見ずというより先を見たくなかったというのが正解です。

今思えば怪我からの約1年意外と早かったなーと思います。
振り返れば色々な事がありましたが、なんだかんだであっという間。

逃げたい時もあるけどやるしか無いんだからいっその事諦めて、自分と向き合う。

今の自分と向き合って、自分を大切にする
先は見ないで今を見る

この怪我を通して私が学んだ事です。

これから先も色々な出来事が起こると思います。でも今回の経験で学べた2つのことをすればとりあえずはなんとかなる。

そう考えて生活していきたいと思いました。

長く暗い話がずっと続いてしまいましたが最後まで読んでいただけていたら嬉しいです。
この後も同期のnoteが続きます!
ぜひみんなのnoteを読んでみてください!

まとまりのない文章になってしまいましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました!
今後も日体大SMG横浜、日本体育大学女子サッカー部の応援をよろしくお願い致します!

#この経験から学ぶ

 ⚪️プロフィール
  田中穂香(たなかほのか)
  ・2年
  ・経歴
    ノジマステラ神奈川相模原アヴェニーレ
   →ノジマステラ神奈川相模原ドゥーエ
   →日本体育大学

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