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《感謝》4年齋藤智恵

こんにちは!!
今回noteを担当させて頂きます、齋藤智恵です。

私たちもあっという間に4年生になり、もう残りわずかとなってしまいました。今回のテーマは「おわりはじまり」ということで、私はこの大学生活で1番印象深かった4年生での出来事について。そして、感謝の気持ちを書いていきたいと思います。

私は文章を書くのが苦手で今までのnoteでも自分の素直な気持ちを書いた事がないので、今回は素直な気持ちを書いていきたいと思います。


私は関東リーグ2部のメンバーになりラスト一年頑張ろうと気合いを入れて4年生を迎えました。

しかし、私は関東リーグ開幕目前、練習中に膝を怪我をしてしまいました。

怪我の直後歩けていたので、前十字靭帯はやっていないだろう。ただ膝を捻っただけだと自分を落ち着かせながら病院に行ったのを覚えています。
高校の時にも一度前十字靭帯を切っており、その時の感覚とは全くの別物だったので絶対に前十字靭帯では無いと心の中で思っていました。

しかし病院に行ってMRIを撮って検査結果を見てみると、先生から 前十字靭帯断裂と半月板損傷 とだと言われ涙を堪えるのに必死でした。

復帰まで運良く順調にいっても早くて6ヶ月はかかり、「これからまた長いリハビリをするのか」、「復帰する頃にはリーグ戦が終わっちゃっているんじゃないか」、「教育実習はどうしよう」「もう選手を引退してサポートにまわろうか」などと、4年生という事もあり一気に頭がいっぱいいっぱいになってしまいました。

診断後4年生の学年ミーティングがあり、みんなにどうだったと聞かれ、膝やっちゃってたと言うと何故かみんなの前で涙が溢れ出てしまいました。

この時、自分が泣くのはまだ分かりますが、仲間も一緒に泣いているのを見て驚きました。
私はこの時、ラストの年一緒にピッチに立つ事も出来ず終わるのかと悲しく悔しい気持ちが胸いっぱいに広がりました。


今だから言えますが一回サッカー部自体を辞めるか考えていた時もありました。

自分だけじゃどうしたら良いか分からず、男子サッカー部の矢野監督に練習後泣きながら相談をしたのを今でも鮮明に覚えています。
選手を辞めてサポートに回るか、サッカー部を辞めようか悩んでいると言うと、「智恵はどうしたいの」と聞かれその時私は、「みんなと最後までやりたい、やりきりたい」と泣きながら言いました。この時初めて本当の自分の気持ちに気が付きました。

私は大学2年の時に父を亡くしており、それも知っている矢野監督に、「お父さんも智恵にサッカーをやりきってほしいんじゃないか、だから選手でやりきって卒業しよう」と当時の私が1番言って欲しかった言葉を言ってくれました。

自分の気持ちに気づかせてくれた矢野監督にはとても感謝しています。

これをきっかけに私は選手としてやり切る事に決めました。

手術直後は、思ったより腫れがなかなか引かず歩くとすぐ炎症を繰り返してしまうので全く練習や試合の応援に行けない時期がありました。

この時、私はみんなが一生懸命目標に向かい楽しくサッカーしている姿見を見るのがただ辛く怪我を理由に休んでいただけかもしれません。
みんなと会話をしていてもプレーの話になると会話の内容についていけなくなる自分がとても情けなく、どこか寂しく感じていたのを覚えています。

今思うと最低だったなと反省しています。

しかし、私の誕生日ときBチームのみんなが動画をとって送ってくれたり、学校で会うとまってるよ、と声をかけてくれたり、リハビリを一緒に頑張っているももこをはじめ、小さな事ですが松葉杖が外れたりなど出来ることが一つ増えるたびに一緒に喜んでくれる仲間がいたので、腐る事なくリハビリを頑張る事が出来ました。

私は本当に素敵な仲間に恵まれたと心から思いました。
特にBチームのみんなには感謝しきれません。学年関係なく、みんながはやく一緒にやりたいなどと言葉にして伝えてくれたおかげで頑張れる源になりました。

また、教育実習でいった母校の聖和学園では、国井監督や曽山監督に会った事、サッカー部の子が練習しているところを見て当時の自分を思い出し、初心の心を思い出させてもらう事ができました。
また、担当したクラスに膝を怪我している子が居ました。その子は授業中は見学でしたが、コーンを置いたり、ボールを集めるなど自分が出来る事をいつも手伝ってくれました。その子に、「僕も頑張るので先生も頑張ってください」と最後言われ、私も出来る事から一生懸命に頑張ろうと思わせてくれました。

実習から帰ってきてからは、ランニング、ボール回しと炎症を繰り返しながらですが、次のステップに進む事ができました。

炎症を繰り返しても頑張れたのは、同期のみさきが去年頭を怪我し治るか分からない不安の中、いつも一生懸命に頑張っている姿を近くで見てきたので、それに比べて前十字靭帯は絶対良くなると分かっていたため頑張れるきっかけとなりました。先輩後輩に関係なく身近に尊敬できる仲間が大勢いるのもチームの良いところだと実感しました。

そして関東リーグ最終戦になんとか間に合う事が出来ました。
身体は前みたいに戻ってはいなく、思う様にプレーは出来ませんでしたが、私は最後まで諦めなくて良かったと思いました。そしてそれを快く迎え入れてくれた仲間たち、きょうやさんにとても感謝しています。

おかえりと言ってくれたとき、とても嬉しかったですし頑張って良かったと心から思いました。

私のわがままからですが、県リーグに登録してもらえる事になり試合に出場出来る機会を与えてもらえる事になりました。

これが投稿される前日11月25日に私の古巣でもある横須賀シーガルズのレディースと試合があり、それに出場させて頂きました。

いままで関東リーグでやってきて、自分の勝手で県リーグに登録してもらい試合に出る事は、県リーグ組にとってはその分出場機会が減る事になるので正直みんな嫌だろうなと、会場に行くまで申し訳ない気持ちでいました。
しかし会場につくと、かなことひろの4年生をはじめ、らんやひなの達が一緒に出来るの嬉しいといってくれて一気に安心して、楽しんでプレーする事が出来ました。本当にこのチームで良かったと心から思いました。

対戦相手だったシーガルにも、中学からの知り合いがいてその方は、お母さん世代の方なのですが相変わらずサッカーを心から楽しんでしていました。それを見てサッカーって素敵だなと改めて思う事が出来ました。

12月10日に行われるホーム最終戦では、最善を尽くして頑張りたいと思います。これまでお世話になった方々、いつも支えてくれた仲間たちにプレーで感謝を伝えられるように精一杯頑張ります。

多分この試合が、本気でやる学生最後のサッカーだと思います。関東リーグ最終戦にお母さんを呼ぶ事を忘れてしまっていたので、ホーム最終戦ではしっかり日時を伝えて最高のプレーを観てもらいたいと思います。そして感謝を伝えたいと思います。

私はサッカーを続けてきて、本当に素晴らしい人たちに出会ってきました。苦しい練習を乗り越え、勝利を共に喜ぶ仲間たち、その勝利に導いてくれ、成長をさせてくれた指導者の方々、いつも陰ながら私たちを支えてくれるチームのご家族の方々と本当に自分の人生には欠かせません。
そしてどんな時も味方でいてくれた家族には、いつも言えませんがとても感謝しています。

私は卒業後、サッカーを辞め違う道に進みますが、これまで出会ってきた人たち、学んできた事を忘れずに、これからも頑張っていきたいと思います。
そしてこれから新しく出会う仲間たちがどんな人たちなのか、とてもワクワクしています。

はじめがあったらいつか終わりが来ますが、わたしは終わりがくるのはとても寂しいので、忘れる事なくこれからも、サッカーをどんな形でもこれからの人生に生かしていき頑張っていきたいと思います。

今後とも日体大SMG横浜、日本体育大学女子サッカー部の応援をよろしくお願いいまします。


#おわりはじまり

⚫︎プロフィール
・4年 齋藤智恵(さいとうともえ)
・経歴
   →横須賀シーガルMEG
   →聖和学園高等学校
   →日本体育大学

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