《なるようになるでしょ》1年長谷川想
こんにちは。
今回ノートを担当します、1年の長谷川想です。
今回のテーマは「ラスト10代!!!」とういうことで、私なりに考えてみたので是非最後まで読んで頂けたら嬉しいです。
と言っても10代はサッカー三昧でそれ以外で何かやっていた記憶がないです。そしてラスト10代もサッカー三昧になる予定です。
それでは10代を振り返ってみます。
10歳がいつからなのかわからなかったので調べました。小学4年生らしいです。ほとんど記憶がないです。小学生の頃はたくさん遊んで、たくさん怒られて、たくさんサッカーをしていました。
そんな中、6年生の時人生で初めて挫折をしました。それは、怪我でサッカーはもちろんのこと他の運動も6ヶ月禁止されたことです。体を動かすことしかしていなかった自分にとってはとても苦しい6ヶ月でした。少しでも動きたくて毎日リハビリをしに、病院に行きました。毎日リハビリに付き合ってくれた優しい先生たちありがとうございました。雨の日もカッパを着て自転車に乗って行っていた記憶があります。
まぁ小学生の頃はこんな感じでした。笑
そして中高一貫の学校に入学しました。
歩いて15分の小学校から、電車で1時間通学に変わりました。最初はキツかったけど、結構すぐ慣れました。まだ星が見える真っ暗な時間に家を出てました。
中学1年生からとても苦労したことがあります。それは勉強です。勉強が本当にできない自分にとって勉強の速度と内容に追いつけませんでした。
サッカーがしたくて入学したのになんでこんなに勉強しなきゃいけないんだ!?って勝手に逆ギレしてました。テストの度に先生に呼び出されて、これじゃ高校生になれないよ?ってたくさん言われました。笑
結局6年間勉強で何回も補修にかかり親にもたくさん迷惑かけました。ごめんなさい。笑
それ以上にキツかったことはやっぱり部活です。
まず上下関係の厳しさにとても苦労しました。敬語が使えなくて怒られたり、仕事でミスをして怒られたり、ボールを無くして朝練がないのに朝練の時間に学校に行ってボールを探したり。
サッカーをするまでが長かったです。笑
そんな感じでいざグラウンドに出てサッカーをしても上手くいかないことだらけです。
中学3年生、全国大会に出ました。初めての全国大会だったのに、そこまで緊張していなかったです。戦うチームとかすれ違うチーム、選手みんなが大きくかっこよく見えました。全国のレベルってやっぱりすごいなと実感した大会でした。
フットサルの全国大会にも出場し、優勝しました。
この大会ではベンチメンバーには入っていたものの試合には3分しか出れませんでした。
優勝して嬉しい反面悔しくてもどかしかったです。この経験が自分にとっては高校で頑張れる一つの理由になりました。
高校3年間は本当に苦しくて悔しくて、でもとても楽しかったです。
1年生の時はキーパーコーチがいて中学では人生で初めてちゃんとキーパー練習をしました。基礎から叩き込まれました。そのため練習についていくのが精一杯で泣きながら練習していた記憶があります。たくさんグラウンドから出されました。この時に鍛えられたメンタルはとてつもなく強靭です。笑
2年生は、とにかく我慢の年でした。試合にもほとんど出ていなかったし、練習もキーパーコーチがいない中自分たちでメニューを考えたり、上手くいかないことだらけでした。
あっという間にラスト1年になってしまいました。
ここからは一瞬で時間が過ぎていきました。
監督もコーチ陣も全員変わりました。
1月5日から新チームが始動しました。ドリブルという名の走りがあったり、「並べ」って言われた時の絶望感一生忘れないです。笑
インターハイ関東までは自分は試合に出ていなくて、このまま高校終わっちゃうのかなって心のどこかで思っていました。でも人生何があるかわからないものです。挫折がもあればその逆もいつか絶対にきます。自分の名前マグネットがスタメン組の方に貼ってあった日のことは忘れないです。
そこから一瞬でインターハイ全国が始まり、決勝戦延長ラスト2分で失点してしまいそのまま負けてしまいました。ファイナルズも決勝で負け。準優勝が続きました。
この時点で、もしも選手権の決勝戦まで残ったとして100日とちょっとでした。折り返しは本当に早すぎました。気付いたら選手権全国が始まってました。
初戦から負ける覚悟で一戦一戦闘いました。キャプテンの怪我、逆転勝利、PK戦と最後までたくさん試練が待っていました。それも決勝まで進めたのは紛れもなく自分たちの足元をすくわれないように全員が目の前のことだけをひたすら頑張ってきた結果だと思います。それでも決勝戦は0-1で負けてしまい準優勝。悔しすぎました。今でも思い出すだけでめちゃめちゃ悔しいです。
ここまで自分が頑張れたのは一緒に頑張ってくれる監督、コーチ、仲間、家族がいたからです。数え切れないほどの人たちとサッカーを通して関わることができてたくさんいい経験ができました。
そして6年間ずっと一緒に頑張ってきてくれたキーパーの子には感謝してもしきれないです。
ここまで長々と書いて何が言いたいかって、人生何があるかわからないってことです。5年間ほとんど試合に出れなくてもラスト半年で試合に出るチャンスがくるし、半年あれば人生変わります。常に「自分がやってやるぞ」って気持ちを持つことも大事です。自分が常に全力で頑張っていればなるようになります。急にアクシデントで自分が試合に出るようになるかもしれないし、自分が怪我をしてしまうかもしれない。でも一緒に頑張ってくれる仲間がいるし、支えてくれる人がいます。今の環境で大好きなサッカーが出来ることや関わってくれる人たち、応援してくれる人たちに常に感謝して「ラスト10代!!!」頑張ります。
長くまとまりのない文章になってしまいましたが最後まで読んでいただきありがとうございました!
これからも日体大SMG横浜、日体大女子サッカー部の応援をよろしくお願いします!
#ラスト10代 !!!
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