《弱さの理由》2年 服部茜汐香
こんにちは!
今回noteを担当させて頂きます。
2年の服部茜汐香です。
私は、1ヶ月前に怪我をして、サッカーから距離をおく状況になりました。
そんな時に、聞かれたのが今回のテーマ、
【私がピッチに立つ時】
正直、何を書こうかすごく悩みました。
このテーマに対して、
きっと、他のみんなはキラキラした言葉を連ねてサッカー選手らしい、日体大らしい文章を書いているのではないかと思います。
そして、それを見た皆さんも応援したいって明るい気持ちになるのではないかと思います。
でも、残念ながら私にはみんなみたいにかっこいいことは言えません。それは、私がとても弱い人間だからです。
振り返ってみると、日体大に入ってから負けた記憶ばかり。自分では、みんなを勝利に導けない。何度も自分じゃダメだ!って心の中で叫んだ記憶が蘇ります。楽しかったサッカーがいつの間にか苦しみとしてしか処理できないものとなっていました。
ピッチに立つ時、一番に思うのが
「ここにいていいのはきっと自分じゃない」
ってこと。
そんな日々の中で思ったのが、私は"弱い"ということです。
と言っても、弱いと言うのは結果であって、今回この場を借りて言いたいのはその理由。
それは、「自分に自信がないこと」
私は、ピッチに立つ前かなり緊張するタイプです。2年生になって試合に出場させて頂く機会が増えたこと、自分のこと以上にチームのことを考えるようになったこと、応援や期待に応えないといけないと考えプレッシャーを感じることなどたくさんの理由があります。
その中で、私の中でいつもトップに君臨するもの。それが、圧倒的な自信のなさ。
やっぱり、サッカーを続けていると、成功の数より失敗の数の方が多いです。それは、きっとあたりまえのことで、自分以外にもそう思っている人がいるかもしれません。それでも、上手くなる選手、大きな舞台で戦える選手というのは、その失敗を糧に成長できる選手、そしてそれを自信へと変えられる選手。
私には圧倒的にそれが足りないように思う。
今回の怪我は、そんな自分が生み出した結果とさえ思う。なぜ、自分はサッカーをしている?と問い続けることが、知らぬ間にサッカーから一度逃げてみたいという思考に変わり、それが怪我という形になって表れた。
それでも、この結果が悪いようにはどうしても思えません。
怪我に対して、マイナスの感情を抱く人もいるとは思いますが、今の私にとってこの怪我は
"救い"なのではないかと思ってしまいます。
なぜなら、一度、サッカーから離れたことが、改めて自分を見つめ直すきっかけになったからです。
私は、改めて何のためにサッカーをしているか、なぜ日体大に来たのかを考えてみました。すると、最近の自分の考え方がおかしいことに気づきました。
私は、人を楽しませるためにサッカーをするわけではないし、日体大のために入学したのではない。
私が楽しいと思うからサッカーをして、自分の将来に役立つと思ったから日体大に入学した。そうやって、自分に目を向けて考えてみると、チームのために!とか期待に応えるために!とか一先ず置いておこうと思えました。
私がずっと問題にしている自信には、自分の能力や価値、言葉や行動を信じて疑わないことという意味があります。
きっと、私はいつ間にか周りのものを見すぎて自分自身に目を向けられていなかったのだと思います。それで、私が今まで歩いてきた道つまり、今までの行動を信じることができていなかったのだと思います。
きっと、自信が無いから弱いのではなく、弱いと思うこと自体が自信がないことの証明になっているだけなのだと思いました。
だから、自信を持とう!ではなく、サッカーをしている今の私をこれまでの私をもう少し信じてみよう!と思う。
そして、いつか復帰して、またピッチに立つことが出来た時には、余計なことは考えずただやってきたことを信じたい。
人は簡単に変わることはできないけど、変わらない私を信じるだけで、見える世界を変えることはできると信じています。
長くなりましたが、怪我をした私が復帰に向けて何を考えているかをこの場を借りて言わせて頂きました。
最後まで読んでくれた皆さんありがとうございました。
これからも、日体大の応援よろしくお願いします。
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