タイトルはおまかせしますけども

いちはらし


前回いただいたお手紙

デジャブもじつはこれの番外編なのかもしれない。「これまでに体験したことがなくても、脳は、この体ならば経験したことがありそうだという情景を瞬時に、勝手に合成して納得することができる」のではないか。


ここを拝読して,うおぉぉ……!と静かに感動しておりました。

いままでは,自らに湧き上がってくる「未体験なのに既知な気がする情景」をベースにデジャブというものを眺めていたのですが,そこに「自分の体」という視点を入れると,たとえば「大脳の記憶領域ばっかりじゃなくて,もしかしてもしかして,小脳あたりも微妙にうっすら巻き込んだ現象だったりする…?」などと新たな(雑な)考えもふわふわと脳に浮かんできます。


ここでふと,「デジャブ中って,脳の“情動系“といわれる回路ってなにしてるんだろ」という素朴な疑問が浮かんだので,自分の体験を思い出していたのですが。そういえば,デジャブが起こっているときの感情って,大部分が「なんだこれ……?」という”困惑”だったりしませんか。

知らないはずなのに知ってる気がするという現象が理解できず驚いている,というのも,もちろんあるのですが。

知っているなら起こるはずの”懐かしさ”のようなもの,それに多少なりとも付随するべき喜怒哀楽が微塵も湧いてこない。そのことに,ものすごい違和感をおぼえて困惑する感じといいますか……


うーん,このへん,なにか本がないかなあとたわむれに検索していたところ

時間の正体: デジャブ・因果論・量子論

という郡司ぺギオ氏の著書に遭遇し,なぜだか「ぐおっ」っと軽くダメージを受けています。

よ,読みましたら,またご報告しますね……。

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マンガでも,映画でも,小説でも,「あんときのアレがここで効いてくるの,激アツ……!」というストーリー展開には,何度も胸を熱くさせられてきました。大切な作品もたくさんあります。

でもこれ,わたしたちは成長過程のどのあたりで”燃えどころ”を学習したのだろうかと,不思議な気もしてきます。

物語の最後にぜんぶのピースがカチリとはまった瞬間の気持ちよさったらないわけですが,創作でみるような"伏線"を,リアルライフで体験したり見聞きしたりすることは滅多にないように思いますし……

また,わたしたちの親世代,少なくとも自分の両親から”伏線”という単語を,そうした(このお話,伏線が効いてて面白い,的な)文脈において聞いたことはない気がします。

ということは。伏線回収という,おそらく比較的新しいフォーマットには,一度もそうした物語に触れてこなかった人ですら,目にしたときに激しい衝撃・大きな感動を与える,プリミティブなパワーがあるものなのだろうか……だからこそ,作者はそのチカラを使う誘惑にかられがちなのかしら……そんなことを思いながら,何度目かの「アフタースクール」の視聴を,週末の to doリストに入れた次第です。

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前回のお手紙で

>人間は無限に描き込まれたマンガのキャラ

こう書いていただいたのを拝読して,はて,わたしというキャラがどこかで登場するマンガはどんな物語だろうかと想像して,少し楽しい気持ちになりました。

ねがわくば,地味だけどちょっと笑えるエンタメ作品だといいのですが。

そのあたりは かみのみぞしる というやつなのでしょうけども。

(2021.11.12 西野→市原)