鳴るなら空っぽではないのでは

いちはらさん:

だから世に出てるいい本はぜんぶぼくの本だと言っても差し支えないわけです。かんぺきなりくつだ! 印税は入らないが!

(歴代の担当編集者のみなさま,いろいろお察し申し上げます……)

* * *

思考放棄と思考保留ですか。そういえば両者の違いについて考えたことなかったですね……。

医療の場面,特に患者側でイメージしてみます。「とりあえず検査してみる→結果がでてから考える」のは思考保留でしょうか。「リスクが怖い→手術うけるのやめます」これは思考放棄? ……うーん。難しいですね。

こういうとき,保留と放棄の「どちらが善い/悪い」も同時に考え出しそうになってしまうのが,個人的にはよくないクセだなぁと思って気をつけています。

* * *

『意味がない無意味』読み始めました! のですけども……うぉぉ……しょっぱなから脳内にポップアップする「!」と「?」の比率が,そうですねえ,1:999くらいでしょうか。なんだか大変なことになっています。

でもたまに遭遇する「!」が快感なのは間違いなく。引き続き,取っ組み合ってみます。

本書の冒頭にあった「頭空っぽ性(airhead-ness)」という語を目にして,大学院の頃,海外のかた数名と「最近みた映画」について雑談していたときのことを思い出しました。

話の流れで,好きな俳優だれ? と聞かれ

うーん,好きってほどではないけど,日本でも有名な,この人は好印象かなあ。

と,とあるベテラン俳優の名をあげるや,1人の男性が突如ゲラゲラと笑い出しました。

な,なぜ? と困惑するわたしをよそに,彼は《うっわー マジか 超ウケる》という表情のまま,その俳優を ”He's an airhead!”と切って捨てたうえ 「っていうか,あいつのアタマとか,揺らしたらゼッタイ土鈴みてぇな音するわwww」(原文:I can hear his head ring!! の意訳です ご検討ください)と追撃。そのあとも数分にわたりめちゃくちゃにdisっていたのを思い出しました。

このときのことは「なんだかすごいdisられちゃってたぞ」とぼんやり記憶していたのですが,こうして改めて文字にしてみると,なかなかにひどい言われようですね……。

文字に起こすまでもなく,当時,相手の発言にそれなりのショックを受けたのは確かです。しかしそのショックは「推し」がけなされたことに対してというよりも,自分の世界の狭さが露見したこと……もう少しいえば「あ,まずいな,世界的にはそっちのほうが”ただしい”のか」という気づき・焦りに由来した,器の小さいものだった気がします。

今では,その俳優が出演する作品を「べつに空っぽでもいいじゃないねぇ」と,どこか開き直って楽しみます。でもそんなとき,わたしの耳は,どこかで鳴る「からころ」というかすかな音を感じてもいるのでした。

*このように『意味のない無意味』は読んでいる最中さまざまに惹起される記憶に翻弄されておりまして感想はなにとぞ気長にお待ちくださいませね。

(2019.11.21 西野→市原)