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ありのままではむずかしい

市原さん:

「よそはよそ,うちはうち」。そう親に言われた昔をふと思い出しました。おそらくわたしが「みんなもってる,わたしもほしい」と訴えたのだと思うのですが,親に聞くと「あなたに何かをねだられた記憶がない」とのこと。もしかすると小さい頃よく見ていたアニメ,たとえばドラえもんで描かれる野比家の日常が自分の経験として記憶されてしまっているのかもしれません。ちょっと自分の記憶が心配です。

そういえば,「もってる」ひとと「もってない」自分を比べて落ち込むことがよくあります。落ち込みながら,少し考えます。

……誰かと自分を比べひとり勝手に落ち込むことが効率的に何かを生みだすことはなさそうだ,落ち込んでいる暇があるなら具体的な行動に移せばいいし,動く気がないならそもそも比べなければいい……

正論らしきものにたどり着いてはみたけれど,動くのも結構しんどい,かといって比べずにいられないわたしは,もうちょっとだけ考えて,比較対象を「みんな」にしました。子どもがいう「みんな」は2,3人ですが,わたしの対象は目に留まるひと全員です。

「あの人はわたしより賢い,あの人はわたしより綺麗,あのひとはわたしより若い,あのひとはわたしより……」

すると,周りにはわたしより優れたひとしかいなくなります。どこをむいてもダメージです。そうして独り相撲をとり続け,落ち込むことに疲れ果てると,不思議と心はフラットになります。ポジティブとまではいきません。あくまでフラット。平静です。ここまでの過程を経てようやく我にかえる……というようなことを,ここ5年ほどしています。ひっそり自滅と再生を繰り返すのもいい加減やめたら,と自分で思わなくもありません。

そんなある日,所用で訪れたデパートで展示されていた知育玩具の説明書に目をやると,学習目標に「おおきさ」「ながさ」「かず」「かたち」の違いを知ること,とありました。なるほど教育の根幹の1つは「比較」にあるということでしょう。であるならば,小さい頃から「くらべる」を教わってきたわたしにとっては,きっと「くらべない」ほうが大変なのです。なんだ,それなら仕方ない。どんどん比べてどんどん落ち込んで生きていこう。そんなふうに折り合うことになりました。

先生は「比較する」をお仕事にされていますけど,「比較しない」はうまく使えていますか。

(2019.7.16 西野→市原)