hospitality と hostility どっちがどっちかわからなくなる病

プチ原さん:

聖闘士星矢からコナンくんに飛び火するというまさかの展開に目を覆っています。

ですが,工藤氏,ましてやシェリーさんについてはトークできるほどの知識がございません。すみません。白旗です。(一周まわって久しぶりにYAIBA読みたくなりました)

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前回のお手紙を読んで,そういえばわたしが「いいなあ」と思う文章ってどんなものだろうかと少し考えてみました。たとえばこんな感じでしょうか。

専門的な事柄を難しいことばを多用せずにわかりやすく噛み砕き,誰にも伝わるような理路整然としたロジックを展開し,かつ読み手がくすっと笑えたりじわっと感動したりするようなエピソードを適度に散りばめた,著者の知性と人柄が感じられる,ホスピタリティにあふれた文章。

(……言語化したらなんだか身も蓋もない言い方になってしまいました。表現力のなさに落ち込みます。)

こういう文章に出会えたとき,「はぁ……すてき……」と心底嬉しくなります。と同時に,作者に対して「あぁ,わたくしのようなものにまで歩み寄ってくださるなんて,もったいないことです……ありがたや,ありがたや……」という申し訳なさにも似た感情が湧き上がってきて,思わず両手をあわせます。卑屈がすぎますか。でもわたしにとって作者は神さま。眼前の文章に平身低頭となるのも致し方のないことなのです。

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少し前から,生き死にについて語った本や映画もちょっとずつ摂取するようになりました。30代の頃は,向き合ったら心が砕け散りそうだとなるべく避けてきたテーマです。しかしぼちぼち親世代が「終活」を口にするようになった昨今,死に伴う悲しみに「耐性をつける」ような感覚で,このジャンルの作品を手にしてきました。

そんなある日,何度かお仕事をご一緒した先生の訃報が届きます。たしかお年は中年期の後半あたりだったはず。偶然ご近所にお住まいで,たまに近場の安い焼き鳥屋でビール片手に世間話で盛り上がったりしたのです。その先生が,亡くなったんですって。……本当に? あの焼き鳥屋の前をとおるたび,いいようのない悲しみに心は大きく乱れます。

ちょっとずつ服用してきた悲しみの質・量が足りなかったせいでしょうか。そもそも,悲しみに対する耐性なんて,存在しないのでしょうか。

いずれにせよ,今後のわたしは「死」にまつわる事象に,以前より前向きに向き合っていくのだろうなと,かすかに確信しています。

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そういえば先日,重ための風邪を引きました。高熱が出るといつもそうなのですが,悪寒に震えながら朦朧とする頭には,たいてい良くないこと--たとえば大切な人の最後,自身がこの世を去るときのこと--ばかりが浮かんできます。とめどなく溢れる悲しい妄想にどうにもやりきれない気持ちになり,無駄に涙を流しながら,またうとうとと眠りにつく……ようなことを,今回も繰り返していました。

もしかしたらこれも自発的な「悲しみの摂取」なのかもしれません。耐性がついている感じは,やっぱりしないですけど。

(2019.9.24 西野→市原さん)