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秋はキリギリス

いちはらし

めっきり秋です。開け放した窓から金木犀の香りが漂ってきます。

こんなに香りの濃い花をつける樹木,題材にした奈良・平安時代の短歌で教科書に載るような有名なのがありそうなものだけど… と思って調べたら,なるほど日本には江戸時代に中国からやってきたのだとか。

分布の北限は南東北とのこと,いちはらさんがお住まいのエリアで庭に金木犀を植えているご家庭はないのかあ…秋の空気感,けっこう違うのかしら,と,気の向くままに北東北〜北海道方面に特有の植栽をググリ始めました。たのしい。

いろいろなサイトを興味深く眺めているうちに,いちはらさんのおてがみの内容が断片的に脳内に漂い,「あぁ,いわゆる"情報・知識の共有"を目的にした記述方法には,ある種のフォーマットがあるよなあ」ということを思いました。

真っ先に思い浮かぶのが学術論文です。定型があることで,執筆者(書くのはたいへんですけども)と,読み手(読みこむのもたいへんですけども),双方の「コスト」が(ある程度)抑えられ,知の受け渡しが効率的に行われている側面はありそうです。

調べてはいませんが,そうした「型」が,さまざまな変遷を経て,洗練されて今の形式に至ったのであれば,それはとても美しいことのように思えます。

また,とある原稿の,「身体運動」について書かれたゲラを読んでいたとき。

〜ある一連の動き,たとえば「物を投げる」際に,動かしうる筋肉と関節の組み合わせは無限大であるが,ヒトはもっともコストのかからない組み合わせを,ほぼ無意識に選択し,動かしている〜

という内容が書かれていて,まさかここで「コスト」という単語に出会うとは! と驚きました。

機能美に潜む「省エネ」のエッセンスについて妄想する昨今です。

一方で。

型で考えてしまうことに対する「いやだなあ」がある。
ああ来たらこう返す、に対する「ああ、いやだなあ」がある。

いなかもんの型/Shin Ichihara/Dr. Yandel


これ,ものすごく共感してしまうのはなぜなんだろうか,ということを,前回いただいたおてがみを拝見して以来,よく考えます。

お決まりの思考パターン,お決まりのフレーズは,たぶん,日々を過ごしてきた結果「それがもっとも効率的だから」選ばれているはずで。

ということは,現時点での,ある意味「最適解」なはずです。

低コストで,ほどよくまわっている現状を,コストをかけて打破したい…こうして文字にしてみると,なんとも贅沢な願望にも見えます。

でも,そのままでは嫌だ。なんだったら,そのままでは「いけない」という焦燥感にも似た感情が,いつも心のどこかにあります。

***

すぐれた「芸術」は、思考の型をうちやぶってくれるという。

「いなかもんの型」/Shin Ichihara/Dr. Yandel


ふと,「秋」のアタマに持ってこられる名詞を並べてみたくなりました。

芸術,スポーツ,読書,食欲…(ほかにも何かありましたっけ)

夏の暑さもおちついて,寒くて動けなくなる前の,文化的活動に適したとってもよい気候ですよ皆さーん…っていうこと…なんだろうな。

うっすらとした違和感も覚えつつ,そんなふうに,ぼんやり受け止めていたのですが。


もしかしたら,「もろもろのコストは多少度外視でもオッケー,わりとへーきへーき,だって実りの秋だし!」…とかいうことだったりして。

ハメを外すって春とか夏のイメージでしたけど,もしかしたら「正規ルートを外れるなら秋」なのかも? と思ったら,少しソワソワしてきました。

コスパ,という言葉を,ほんの少しだけ無視してもよさそうな気配を感じながら,これからの数ヶ月を過ごしてみようと思っています。

(2022.9.30 西野→市原)