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百日紅

ミスタ = イチハァラ:

そうですか,数年間を視野にいれての著作に取り組まれるのですね。「4,5年後,あるいは10年後」とは,ずっと先のことのような,でも自分の過去10年を思えばあっという間のことような……いや,やっぱり長い期間ですね。

「待つことには慣れているのです」と言ったのは『Bar レモン・ハート』のカガミでしたっけ。あの方ほどではないですが,わたしも仕事柄,待つことには少し慣れています。市原さんが編まれる作品--その発刊はきっと,ある局面における分水嶺の1つとなるのでしょう--をお待ちしたいと思います。先の楽しみが増えました。お知らせくださりありがとうございます。

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ふと思い立ち,この往復書簡の一覧を眺めていました。前回いただいたお手紙の題名に,これが続いたらうるわしいかなという思いつきで「百日紅」と題を決め,先を書き出すことにします。


さてどんな樹木だったかと「百日紅」の検索を進めるうち「サルスベリ」という囲碁用語に行き合いました。

囲碁……! 前回いただいたお手紙の内容(将棋)と親和性がある!……ような……? と,強引に自分を納得させ,筆を進めます。

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高校生の頃,同じ学区内に「強い」と評判の高校生囲碁棋士がいました。県内の大会はもちろん,全国大会でもトロフィーを持ち帰ってくる,それは強い棋士だ……と目を細め楽しそうに語る教師を「へえすごい」程度の薄い感想で見上げていました。

数日後,体育の授業中に誰かがふと「でもさぁ,スポーツも囲碁も,どうやって相手を "だしぬくか" とか "おとしいれるか" って,"戦略" っていうの? それをひたすら考えるわけでしょ。それってさ,性格悪いよね(笑)」とこぼしました。

今にして思えば,なんとも幼く青い意見です。ですがそれ以上に未熟だった当時のわたしの脳は「な,なるほどたしかに……!」と,きわめて短絡的に,嚥下反射のようにしてそれを飲み込みました。そうして「利を求めて知恵を絞ること=性格が悪いこと=よくないこと」という謎の論がわたしの中に構築され,そこから結構な年月にわたって居座り続けます。

……振り返ると恥ずかしい思い出の1つです。

といいつつ。当時のわたしを少しだけ擁護させていただけるならば,四半世紀ほど前(!)のあの頃,世間のムードとして「戦略」「分析」といった語には,「狡猾」「腹黒」といった「悪の影」,あるいはそれを「頭でっかち」「机上の空論」のように「非・現場的なもの」と断ずる気配が,今よりずっと色濃くまとわりついていた気がするのです。

さまざまな作品で「熱血武闘派の主人公(ヒーロー) vs クールな知恵者のライバル(アンチヒーロー)」という構図が流行った頃でもあるように思います。

前回いただいたお手紙にあった

この二つの局面のうち、前者はぱっと見、「とりあえず動く」で、後者はなんとなく、「じっくり考える」だ。

このおふたり,当時ならば圧倒的に「主人公」は「とりあえず動く」前者,「ライバル」は「じっくり考える」後者だったことでしょう。そう,当時ならば。

今では書店のビジネスコーナーに行けば「戦略/ストラテジー」「分析」の文字がタイトルに華々しく舞っています。

創作物の主人公は,必ずしも「考えなしに突っ込んでいくタイプ」ではなくなりました。

世の中がこれを受け入れるターニングポイントはどこにあったのかと,書店に並ぶ本を前に,ふわふわと考えていました。

そしてふたたび前回のお手紙を読み返し,

将棋盤をひっくり返して時計係を人質にとるのが思考放棄かな。

自分がこの件の関係者だったとしたら。将棋という場を降りようとするその人に,最後まで将棋指しであれというだろうか,それとも別のフィールドを用意しようとするだろうか……妄想たくましくあれこれ気を揉んでは,無駄にため息をつくのでした。

(2019.12.5 西野→市原)