お菓子の家にはまだ遠い

いちはらさん

ふと思ったのですけども,ドラゴンボールって今でも数年おきくらいのペースで新作映画が投入されてますよね……? そう考えると,40年ちかく現役の作品なわけで……おぉ,なんたる作品強度。現代のアラフォーが魔貫光殺砲で遊ぶのも宜なるかな,という感じです。


そういえば。去年だったか,小学生男子2名とすれ違った際,彼らの一人が「テリーマンとロビンマスクがさぁー!」と言い出し,あまりの衝撃に「は?」と振り返りそうになりました。

いやだって,キン肉マンですよ? 不意打ちがすぎる。

令和って昭和? といっしゅん混乱したわたしを,誰が責められましょう……(どうやらYouTubeの公式チャンネルからアニメ全話視聴できるっぽいことを,いま知りました)。


紅蓮華を楽しげに熱唱したお子さんの口から「へのつっぱりはいらんですよ」とか言い放たれたら,ちょっと気絶するかもしれない……とふるえる今日このごろです。

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『摩訶不思議アドベンチャー』はさておき。

歌ならばいつまでも覚えていられるのに。

むむっ どこかでこれに関連するような話をみたような……? と書棚をほじくりかえし,見つけました。

「言葉を脳に刻みつけ,忘れないようにするために編み出されたのが詩だったのである」

この本によれば,「詩」とは元来,覚えておくと便利なことを,ペンも紙も使うことなく,みんな(共同体)が長く記憶できるようにと発明されたものである,と。

さらに覚えやすく,なんだったら思わず口ずさんでしまうような,耳に心地よいリズムや節回しとなるよう研ぎ澄ます……詩のルールはそうやって磨き上げられてきたのだそうです。

「詩」の発展系(?)である「歌」が,単なる文字の羅列よりも脳に残りやすい理由のひとつがこれだとして,同時にいろいろ興味も湧いてきます。

ここちよい節回し・語呂のよさを生み出す言葉の使い方・並べ方(法則)は言語によって異なるけれど,それぞれの法則から生まれた「ここちよさ」はユニバーサルなのだろうか,とか。そもそも「ここちよいリズム」を「ここちよい」と規定しているものはなんなのかなあ,とか。

脳科学のなかでも言語系・聴覚系の研究で,このへんどこまでわかってるんでしょうね……。カンデルに書いてあるかしら。

あ,ちなみに。前述の本は,ご存知 『文学を<凝視する>』であります(再登場)。

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書棚に本を戻すついでに,時節柄,ちょっと掃除みたいなことしようかな,と本の並びをいじりだしたわけですけど,まぁ捗りませんよね。本を取り出すたびに「このへんにあの話が書いてあったよな……? ちょっと確認しとこ!」とかやりだしてしまって。

しばらくして「はっ! いかんいかん」と我にかえり,自分のまわりにバラバラと並んだ本が目に入ったとき。とつぜん「ヘンゼルとグレーテル」を思い出しました。

”ここにある本って,あの童話のきょうだいが「迷子にならないよう,目印になる小石を1つずつ落としながら森に入った」っていうエピソードの,小石みたいだなあ”

なぜかそんなふうに思いました

どこか帰るべき場所があるわけでも,目的地があるわけでもないのですけど。

それでも,ぽとりぽとりとポケットから落としていった石は,いつか,ぼんやりとした軌跡を描くだろうか。いちはらさんがたまにおっしゃる「けもの道」みたいに。そうなるといいな。

そんなことをひそかに願った年の瀬でした。


ことしもたいへんおせわになりました

どうぞよい年をお迎えください


(2020.12.25 西野→市原)