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ころり ころげた きの ねっこ

市原 サーン:

バーに伺った経験はそう多くないのですが,そんなわたしでも「バーといえばジャズ」と思い込んでいますねえ。それも,ビッグバンドが ドパーン! って鳴らしているのじゃなくて,楽器オンリーの3ピースバンドが ボボン... シャワワー (←ドラムブラシ)... みたいな,こぢんまりした曲が流れているイメージ。薄暗い空間にキャンドルの灯りがゆらめきます。ここはスコッチ一択で。

市原さんのおっしゃる「カントリーが流れるバー」に伺ったことがないので脳内妄想してみましたら,カウンターに着席するなりマスターが「バーボン?」って(「パードゥン?」の発音で)聞いてきました。ええっと。イエス,プリーズ。

流れる曲のジャンルひとつで,お店の性格や置いているお酒の種類も変わるような気がします。カントリーとジャズ。どっちも米国生まれですのにね。ルーツが違うからかしら(というか,そもそも上記のような「バー」の概念て日本固有のものなのでしょうか……)


カントリーといえば。ずっと「実はそうなのでは……?」とひそかに疑っていて,あるとき偶然に視聴した“MTV Unplugged”の映像で確信に至ったのですけども。あの。Bon Joviの曲って,カントリーだと思うんですよね。

異論は認めます。

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前回いただいたお手紙の

意識も記憶も、自分の味方を覚えておいて、反射的に傷つけないためにあるのだとしたら、それはすごい、すばらしいことだ、かもしれませんね。

ここを拝読してテンションが ブワッ と上がりました。

もしそうだとしたら!それって新皮質(知性)が辺縁系(本能)に勝った(?)事例ってことでいいですか! うわーナイス進化!ナイスコントロール! 

……ざっくり間違ってますよね。すみません。

冷静になると同時に。もしかして,背後に立つ者が誰であれ容赦無く裏拳を放つ人には「覚えるべき味方」は存在せず,意識も記憶も「反射の制御」以外のタスクにその能力は割り振られているということだろうか,と思ったら,少し胸が痛みました。

かわいそうなデューク。

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わからないなりにも言葉を拾っていく。

その過程,ものすごくわかります。そういう読書の最中,わたしは「落ち穂拾い」的な,わりとツラい,でもそう「しなくては」という謎の義務感も覚えます。

前にお送りしたお手紙で触れた「いっけんすると読書術の本」も,やっぱりそんな感覚を呼び起こす本です。

そのうえ,文中に引かれるさまざまな「(ご存知)だれそれ」の名前に,さっぱり見覚えはなく。著者(フランス人・大学教授)が属するヨーロッパのアカデミアの方々の「根っこ」を垣間見て,ちょっと途方もないなあ,という思いも感じながら,ゆっくり読みすすめています。


そんな折,本の中盤あたりでふと読んだ著者紹介文に「精神分析の専門家」の記述を見つけ「うわっ」となり。チラ見していた本書のレビューに「千葉雅也」氏の名前が登場し「うわわっ」となりました。

あと,行間のずっと向こう側から,ショウペンハウエル先生がなんかすごい顔でこっちを睨んでる,のような気がします。


上記,引っかかった事柄のひとつひとつは瑣末なもののはずなのに,どれもが市原さんの「最近のテーマ」に収束する流れにあるような,と勝手な印象を抱いています。


ということで,件の本,もうちょっとで読み終わります。終わりましたら,ご紹介しますね。

(2020.2.20 西野→市原)