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妄想ハレーション

いちはらさん

週初め,ラジオで聞いた天気予報によれば「関東は,今季の寒さは水曜で底を打ち,そこから気温はV字回復!」とのことでした。景気の良い表現で月曜の朝を彩ろうという気遣いに,気象予報士の方のプロ意識を垣間見ます。


ということで,こちらはまもなく春がくるらしいです。

雪を踏まずに年度を跨ぐのは,もしかしたら生まれて初めてのことかもしれません。

なんだか締まらない,ぼんやりとした年度末だなあ……と,逃げていく2月を横目に,いかに自分が「年単位の繰り返し」に精神的な安定を得ていたかに気づかされ,少し驚いてもいます。

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枕草子のテンションに耐えるぴよぴよ。時をかけるぴよぴよ。声優さんは、いったいどういうテンションで朗読を吹き込んだんだろう。

ですよね。朗読用の原稿をもらった声優さん,プロデューサー的な人に確認したのじゃないかしらと思うのですよ。

〜〜〜〜

  声優さん(声):あのう,すみません,ここなんですけど

  プロデューサー(P):はいはい 

  声:その,「ぴよぴよ」で,いいんですかね

  P:あぁ,はいここですか,「ぴよぴよ」です 

  声:……じゃあ,「ぴよぴよ」で

  P:はい「ぴよぴよ」で

〜〜〜〜〜

完全に勝手な妄想なわけですけども,声優さんが抱いたかもしれない困惑と覚悟を前提にして件のCDを聞き直しますと,また違った景色が見えるような気もしますが,それもまた,わたしの勝手な妄想の先にあります。

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前回頂戴したお手紙の後半,特に症例検討会パートにはたいへん感動しました。

画像を前に,参加者の間にうずまく熱気,その熱量を逃すまいとする市原さん,そして現場の熱を読者が受け取りやすい形に磨きあげる若杉先生……

一連のすべてがあまりに尊く思えて,目頭が熱くなりました(ほんとうです)。


うっかり職場で感動的な記事を開いて ブワッ となってしまったときは,涙ぐんでいるのがバレぬよう,目を閉じ指で眉間を クッ と抑えて下を向き,疲れ目のケアをしているフリをして,感情の波をやり過ごします。

今回もまた「目が痛いナァー」というテイで目を閉じていたら,仄暗い視野に“ビジョン”という語が浮かんできました。

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きっと市原さんもご存知と思いますが,『火の鳥・復活編』は,主人公が交通事故にあい,奇跡的に命は助かったけれど,モノの見え方が事故前とは劇的に変わってしまったところから始まるのでしたね。

あの作品を読んだのは小学校低学年の頃だったでしょうか。

読後しばらく,何かうつくしいものが目に入るたび「ああ,でもこのうつくしいものは,だれかに見えているものと まったく同じではないかもしれないのか……それは なんて さびしいことだろう……」とメソメソしていたことを覚えています(火の鳥シリーズはどれもトラウマにも似た強烈な何かを残しますね)。


ものの見え方は「物理的に」あるいは「精神的に」,人によって異なるということを,今はとても興味深く眺めています。

そして,「人によって,見え方は違う」。そんな大前提があるなかで,誰かとコミュニケーションをとったり,「ビジョンを共有」したり。

さらには,誰かの言った/書いたことを受け,発信者に見えている景色が自分のなかに立ち上がってくるような気がすることさえあるわけですけども,それって実はちょっとすごい,超能力みたいなことでは? と,最近は強く思います。


この”超能力”の根っこには何があるのかしら……と,医師が医師に向けて書いた原稿を前に,たまに考えているのですが。

「この人のことだから,このことを伝えようとしている/これなら伝わるだろう」という,発信者/受信者間の”信頼”,そしてそれと同じくらいの”想像力”あるいは”妄想力”が関係していたりしないかな……と,ぼわっとした仮説を立てています。


わたしの場合は妄想パワーの炸裂がすぎるのか,場を共有したはずの相手に「んなこと言ってねえ! 」と後から言われることがあるので,この仮説もまた,慎重な検証が必要なようです。

(2021.2.19 西野→市原)