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時をかけるヒヨコ

いちはら氏

1月も半ばをすぎ,コンビニには恵方巻のポスターがぺたぺたと貼られはじめました。2021年もだいぶ身体に馴染んできた気がします。

遅まきながら,本年もよろしくお願いいたします。

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いただいたお手紙を拝読しつつ我が身を振り返ってみましたら,読んだものの「わ・わからん……」→「いずれまた……」状態の本,けっっっこうあるな……と,遠い目をしながら焦るなどしています。

あの山,いつ再チャレンジしてやろうかしら。


ふれたものの「合わなかった」作品に対し,「この作品が悪いのではなく,"not for me"だった,それだけのこと」と評するツイートをたまに目にしては深くうなずくわけなのですが,この「再チャレンジしたい」シリーズって,それとはちょっと違うんだよな……どう分類したらいいのかな……と,ちょくちょく気にはなっていて。

もやもやとしつつ,暫定で ”not (yet) for me” という脳内フォルダ名をつけています。エヴァシリーズか(『シン・エヴァ』,たのしみですね)。

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頂戴したお手紙の

日本語に翻訳された時点で、おそらくボルヘスが語る際に意識していたであろう、さまざまなリズムや節回しが失われていると思います。「なぜその言葉のあとにその言葉を続けるのだろう?」という部分がたくさん出てくる。とまどい、引っかかり、かきまわされる。

ここを拝読して,思い出したのは,あるCDのことでした。

数年前のある日,実家から拝借してきた『枕草子』の朗読が収載されたCDをBGM(?)がわりに流し聞きしていたのですが,これがまたとてもよくて。

教科書で出会うあの段はもちろんのこと,はじめてふれる段が,音としてスルスルと耳に入るそばから映像が立ち上がってくるのです。

わぁ……これは新鮮な感覚…… と,脳のリソースの大半は別の作業に割り振りつつ,耳に届く音にときおり意識を向けてたのしんでいたら,突如,朗読者(女性)の声で

「ぴよぴよ」

と聞こえてきて吹き出しました。

おもわず説明書がわりについてきた原文テキストを確認すると,「かわいらしいもの」を取り上げた段の,「ヒヨコがやかましく鳴きながら人のうしろをついてまわるとこ」的な一節で,その鳴き声に「ぴよぴよ」とあるではないですか。

わたしの聞き間違いではなかった,と安心すると同時に。

「狂言では犬の鳴き声を “びょうびょう” と表現します」

そう教わったときに感じた距離感のようなもの。それが,「1200年前もヒヨコの鳴き声は “ぴよぴよ” だったのか」と思ったとたん,ギュンッと縮まったような。あぁ,平安も,実はそう遠くもないのかも,などと感じたそのことに,またひとり笑ってしまいました。

(*当該箇所は古文の授業では「ひよひよ」と音読させられた気もしなくもなく,もしかするとこの朗読版オリジナルの読みなのかもしれないのですけども)


はじめて読んだときに「つまりどういうことだってばよ……?」となった翻訳書。これの「原書」を,オリジナルの言語で朗読したものを聞いてから,翻訳書にまた戻ったら,「すっぴん」状態でふれたときよりも解像度があがったりしないかな……。

あっ。俳句・短歌を自国の言語に翻訳される方々って,日本語で聞いてから訳出するのかしら……。

そんな淡い期待とふわふわした疑問を浮かべつつ,途中で挫折したとあるアフリカ文学の音源を探し始めた2021年1月です。

(2020.1.22 西野→市原)