煙のごとき記憶はいつ固定されるのか
いちはら氏:
『映像研』の盛り上がり,指をくわえてみています。
これはあれだ……『けもフレ』のときと同じパターンだ……(昨年始まったネット配信でようやく視聴したのです)。遅まきながら楽しく視聴して,最終回は鳥肌たちました。でも,SNS上の反響と同期してたらさらに楽しめたかも,とも思ったんですよね……。うーむ,キャッチアップに努めます。
ZAZENBOYSの『ポテトサラダ』聴きました。
そう,ポテサラには日本酒です。マヨネーズのコクを米の旨味がうんたら,とかそういうことではなく,もっとビジュアル的なお話。言うなれば居酒屋では「もっきり」とポテサラが卓上に並んでからが本番,みたいな感覚なんですけどこれわかりますか……というか……居酒屋に……行きたい……!!
イヤホンを通して入ってくる音から描き出される情景を前に,そんなふうにひとり身悶えていました。
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「ああー、すごいいい本だったのに何がよかったのかはちっとも覚えてねぇー!」となる。
「印象は残ってるけど具体的なこと覚えてない」案件から呼び起こされてしまったお恥ずかしいエピソードがあります。
特に同業者からは殴られそうなお話です。
数年前まで「敷衍」の読みが,どうにも覚えられませんでした。見かけるたびに,漢字と読み,ときには辞書の説明文まで紙に書き出し「よし今度こそいける」と思うのに,次に出会ったときには,その語義だけを残し,読みは雲散霧消しています。読みの記憶がカタチをとってくれません。
それでもどうにか思い出そうと,もわもわとした記憶を「し……? 」と間違った入り口と知りながらたどるうちに「さ……?」とおかしな脳内検索が始まる始末(どうも「桟敷」からの連想が起こっていたらしいのですが,我ながらそのミスディレクションはやめてほしかった)。
思い出そうともがく間じゅう,もう,悔しいやら悲しいやら恥ずかしいやら……というのを繰り返すうち,「覚えられない自分を諦める」ようになってしまったある日の読書中,再びこの語に出会います。
おぉ,キミは「敷衍」じゃないか。久しぶり。うん,で,なんて読むんだったかな?
さっそく検索窓に突っ込みます。
あぁー そうそう,ふえん ね。ふえん。覚えられたら,覚えておくよ。
そう捨て鉢な態度で検索結果が表示されたブラウザを閉じようとしたときに「……“敷衍する”は,英語でなんていう?」という疑問が脳を掠めます。
“extend”
そのGoogleの回答が目に入った瞬間。わたしの脳内で実際に何が起こったのかはわかりません。でも,
敷衍 - ふえん - 押し拡げる - extend
すべてを結ぶシナプスが「バチンッ!」と音を立てて繋がったような気がしたのです。そして今は,これはもう忘れないだろうな,という確信にも似た感覚があります。
脳はたまに,こういうよくわからない挙動をみせますね。不思議です。
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読み終わった本の記憶は忘却曲線と同じカーブで消えて行ってしまう。
そうそう,いま読んでいる本に「読書ではその始まりの瞬間から抗いがたい忘却のプロセスが起動する」という旨の文章が登場して,あっ市原さん!と思いました。いっけん読書術っぽい1冊なのですが,その類の本を選ばないであろう市原さんに,敢えてご紹介したいような気がしています。
(2020.2.6 西野→市原)