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ダン・シャー・リー(人名みたいに言う)

市原氏

前回のお手紙で投入いただいた「子機」という語(しかも「子機1」「子機2」…というシステム込みで)に,このタイプの電話を利用していた当時の記憶が否応なしに惹起され,軽く悶絶していました。とても つらい。

開きそうになる黒歴史の蓋を押さえながら,市原さんのお手紙を何度か読み返すたび,

今こうしてキータッチをしているぼくは、おそらくぼくというシステムの、ひとつのレイヤーにすぎない。

デジャブの正体は量子もつれである/Shin Ichihara/Dr. Yandel

このあたりから,わたしの脳に映画『マトリックス』が浮かぶのは,つい先日に封切りとなった続編の宣伝がタイムラインを頻回に横切るせいもあったでしょうか。


その後,少し気になりまして,年末の大掃除のかたわら1作目をamazon primeで再生することにしました。

映画の登場人物たちのやりとりを耳メインで視聴し(あぁ,そういう筋書きだったなあ…)とふわふわ思い出しつつ,断捨離だ,目指せミニマリストだ,と荷物の山と格闘していたところで,主人公の声が

「デジャブだ」

と発したのを聞いて,思わず吹き出してしまいました。

そして,やおらノートPCを引き寄せ,映像に向き合うことしばし。

…あぁ,なんということでしょう。そういえば,マトリックスでは ”電話” は ”あちら” と "こちら" を行き来するための超・重要アイテムだったではありませんか…!

……こうした一連の出来事からキーワードを拾ってSF作家の創作に関する考察を試みたり,”ちょっとした偶然”に何かしらの運命サインを感じて妄想を膨らませてみたり。

どちらもたのしい”ひとり遊び”だけれども,勝手な結論にいたることを目標にすることはしないでおこうな…? という自戒の念のような何かが,お手紙を拝読したのちに履修した『いんよう!』を機に,すこし大きくなった気がしています。


なお,断捨離には失敗しました。

***

デジャブの反義語ってなんだっけ,と検索しているうち思い出したエピソードに,やや強引に繋げます。



数年前の年末,家族が急な病気で入院することになりました。

たしか年末から年始にかけ,5日間ほどお世話になったのでしたか……

ある晩,家族と一緒に病室に泊まらせてもらい,翌朝は病院から会社に直接出勤することとしました。

泊まった翌日の,朝早く。

持参していたスーツに袖をとおし,病室を出て,(誰の眠りも邪魔しませんように…)と,暗い廊下を足音を潜ませながら足速にエレベータに滑り込みます。

エレベータの明るさに目をしぱしぱさせたのも束の間。ガタンと開いた扉から出て時間外出入口へ向かうと,救急搬送用も兼ねたその周辺の待合スペースは,それはそれはひっそりと静まり返っていました。

いつもなら医療従事者・患者・家族・職員の往来が絶えないであろう場所です。早い時間帯とはいえ,人っ子ひとりいないっていうのもめずらしいような……

(別の世界に紛れ込んでしまったみたいだなあ……)

寝不足でぼんやりと,そんなことを思いながら,冬の朝日が薄く差し込みはじめた,ほの白い空間をすすむわたしの脳は,ふと,視界の片隅に入った院内地図の表記にある【蘇生学】の文字をとらえます。

(蘇生学……?)

医学書の編集をしておりますから,平時であれば,特段ひっかかることもなくやり過ごすはずの,見慣れた単語です。

でもこのときはちがいました。

知っているはずの単語が,初めてみたもののような。しかも本来の意味とまるでかけ離れた,未知の手触りをもって,そこに立ち現れたのです。

(ホグワーツの授業@ハリーポッターにでてきた…まほう,てきな……?)

いわゆる「ジャメブ(未視感)」と,厳密には異なる現象なのかもしれないのですが,たいへん不思議な体験として,いまもたまに思い出します。


…おぉ,そういえば,ハリーポッターには記憶を消去する魔法がありましたっけ…?

またしても,ひとり遊びのネタを入手してしまったことです。

***

少し早いですが,今年もたいへんお世話になりました。

どうぞよいお年をお迎えください。

(2021.12.24 西野→市原)