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読了『ミシンと金魚』

気になってた本を本屋で見つけて買って、すばる文学賞ということはそんなに長くないやろ、思って家帰って一気読みした。途中からずっとべしょべしょに泣いていた。
読み終わったあとに奥付みたら、今年の2月に初版が発行されたのに、もう第三版だった。うへえ。

あらすじ
認知症を患うカケイは、「みっちゃん」たちから介護を受けて暮らしてきた。ある時、病院の帰りに「今までの人生をふり返って、しあわせでしたか?」と、みっちゃんの一人から尋ねられ、カケイは来し方を語り始める。
父から殴られ続け、カケイを産んですぐに死んだ母。お女郎だった継母からは毎日毎日薪で殴られた。兄の勧めで所帯を持つも、息子の健一郎が生まれてすぐに亭主は蒸発。カケイと健一郎、亭主の連れ子だったみのるは置き去りに。やがて、生活のために必死にミシンを踏み続けるカケイの腹が、だんだん膨らみだす。
そして、ある夜明け。カケイは便所で女の赤ん坊を産み落とす。その子、みっちゃんと過ごす日々は、しあわせそのものだった。それなのに――。
暴力と愛情、幸福と絶望、諦念と悔悟……絡まりあう記憶の中から語られる、凄絶な「女の一生」。

ミシンと金魚/永井 みみ | 集英社 ― SHUEISHA ―

以下感想。本当に個人的な感想だ。ネタバレもあるでしょう。

読んでて最初に認知症だったおばあちゃんを思い出し、これまであまりいいことのなかった人生を送ってきたカケイと自分のおばあちゃんがダブって、おばあちゃんもこんなことを考えて生きていたのだろうかと思ってワンキル。

次におばあちゃんの葬式のときに他の親戚がわたしのお父さんを「かわいそうな人」と噂してるのを耳にしたことを思い出して、お父さんの人生を思ってワンキル。

それからカケイに将来の自分を垣間見てワンキル。序盤で三回死んだ。

年をとったら、こうなるのですか?映画『ファーザー』を観たときのこわさが甦る。

でも読んでいくうちにカケイ以外のカケイに関わった人たちが見えてきて、それはそれでしんどかったんだけど、物語の全貌が見えてきてからは自分の恐怖と区別して読むことができました。

なんとなく気づいてはいたけど、カケイが人生は良いことも悪いこともとんとんだと話してて、やっぱりそうなんだなあ。作中、カケイは死んでも悔やみきれない後悔をしていて、きっとこういう罪は一生のうちに誰にでもあるのではないのかなと思った。この罪を犯す前が幸せだったからこそ、自分の怠慢や甘えが悔やみきれない後悔となっているのではないのかな。そう考えると、自分は幸せになってはいけないのかな、って思って、やっぱり生れてきたこと自体が罰せられるべきことなのかなって思って、ぐるぐるしちゃいましゅ。

広瀬のばーさんがかっこよかったです。カケイの兄貴も好きです。強い人間はずっと強いままでないといけないのでしょうか。落ちた人間は落ちたところからがんばっても、死ぬまで落ちるしかないのでしょうか。ぐるぐる。

お迎えのリヤカーのシーンが可愛かった。兄貴の計らい(だろう)というのがまた良い。死んだことがないからわからないけど、自分が死んだときに本当に三途の川があったとして、そしたらおじいちゃんとおばあちゃんとお父さんが待っていてくれたらうれしい。死んだことないから一人は心細いので。でもお父さんはおじいちゃんおばあちゃんに、おじいちゃんおばあちゃんは更におじいちゃんおばあちゃんのお父さんお母さんに甘えたいだろうから、ちゃんとそこに居てくれてます……?どうなっちゃうかわからないけど、死後の情報がなさすぎるのでぶっつけ本番であの世へ行くしかない。

考えたり、お話を思い出したり、これを書いてる今もべしょべしょだ。どうしてくれる。

この本を読んで、初めておばあちゃんの人生を思ったと言っても過言ではない。想像しても、わたしが生きてるおばあちゃんにできることはなにもない(死んでるおばあちゃんしかいないから)。
おばあちゃんとたくさん過ごしたのに、おばあちゃんを喜ばせようとか、全然できなかった。お父さんから聞かされたおばあちゃんの人生は結構大変そうで、わたしがなんとかしたいと思えるような年頃にはすでに病院暮らしだしわたしは県外の大学に進学するし。家族なのに他人事で今めちゃくちゃ後悔してきてる。何もできない。

なんかもう、自分が誕生したときに祖父母とかなり年の差あるのバグだと思う。いい孫でありたかったけどどうだったのかわからない。

つらいけど、わたしはこの本を読んでよかった。大切なものを見つけたくて本を読んでるんだよな。

著者・永井みみさん、ワイのパッパの一個下や。パッパも何かでデビューする可能性が微レ存!?!?


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