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視点の自覚

10・11月のcakesの記事炎上について。
10月は、DVに関する人生相談の回答者が、相談内容は嘘だと断じた記事。
11月は、ホームレスについての記事で、差別的だと批判された。

でも、表現の自由について、誰か言及しないのかな。
この件に関するネットニュース記事や、個人の意見記事をいくつか読んだが、「表現の自由」という文字はなかった。
たとえばシャルリ・エブドの風刺画のように、内容にかかわらず、表明する自由はあるべきだ。
ただ、運営主体であるnote社のその後の対応を見ると、そんな意図や覚悟はなかった。あわてて記事を修正し、コメントを掲載した。単に、編集部のチェック体制が整っていなかったために、この事態を招いたことが見て取れる。

記事そのものについては、人生相談は読んでいないが、ホームレスに関する記事(修正後)を読んでみた。
社会背景に触れていないことや、興味本位と取れる筆者の立ち位置など、問題点はあると思う。
私が違和感を覚えたのは、「上からの視点」に対する無自覚さだ。”普通”の生活を送る筆者が、ホームレスを取材対象とする時点で、それは上から下、メインからサブ、中心から周縁に対するアプローチだ。「対等な目線」にはなりえない。それがいけないのではなく、その分慎重になる必要があると思う。つまり、暴力(強い者から弱い者への力の行使)にならないように。

「当事者目線の欠如」を問題視する意見があるようだが、私はそうは思わない。現在、当事者主義は支配的な風潮だと思うが、疑問がある。当事者でなければ発言できないという考え方は、取材することを否定してる。対象を外から知ろうとし、それを紹介することの否定だ。
ただし、部外者は、自分がよそ者であると認識して書くべきだ。この点は、「上からの視点」と同様である。自分と対象の間に勝手に共通点を見つけて、「彼らも私と同じ」と喜び、「彼ら」を自分たちの「仲間に入れてやる」のはお節介だ。

しかし、なにより私が好きでないのは、「炎上」。
この不健康な現象は、ネットの負の産物の一つだと思う。

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