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食べられないもので、おいしそうなもの

土曜日。

マドリード郊外で開かれるフリーマーケットに行った。
青空の下、様々な品物が並べられていた。骨董品が中心。食器、家具、衣類、アクセサリーなど、由緒は定かでないが、見ているだけで楽しい。

あちこちの店で共通して見かける品物があった。
それは、石で作った実物大のブドウ。
メノウか石英のような薄緑の貴石を果実そっくりに加工し、針金で固定してブドウの房を再現している。ピンク系の石を使ったものもあった。

石のブドウ。
どこに、どういうふうに飾られていたのだろう。
一つでは頼りない気がする。いくつも一緒にして、本物のブドウのように鉢に盛ってあったかもしれない。

しかし、なぜ本物のブドウではだめなのか?
造花のように、手入れを省いて楽をするためだろうか。
それなら、そんなに凝ったことはしなくても、果物の絵をかけておけばいいのでは。

自然と、台湾の故宮博物院の翠玉白菜を思い浮かべた。
食べられないもので、おいしそうなものを作る試み。
その試みが様々なところで繰り返されるのは、食べることが心地よいことだからだろうか。
食欲をそそられるというのは健やかなことだ。疲れ切っていたり、弱っていると、美味しいものでも十分に味わうことができない。

私はこのところ胃腸の具合が悪くて、「おいしそう」と思えないことが続いていた。食べなければ体力が落ち、ますます元気が出なくなることを実感している。
自分がそんな状態なのでなおさら、食と心身の快適、幸福感の連動が切実に想像される。

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