気狂いにならぬような仕方で考える
大江健三郎の『人生の親戚』を読んでいる。
障害のある2人の子供を自殺によって失った女性の半生が、作家である語り手を通して綴られる。子供たちの自殺の経緯については、その女性の元夫からの手紙によって明らかになる。直接には面識のない作家宛に、元夫は長い手紙を何通も書き送る。作家は、その動機について、「気狂いにならぬような仕方で考える」ことだったのではないかと推測する。
そのくだりを読んで、私にとっての「書くこと」も、それと同じだと思った。
noteも、日記も、少し書いては放棄する