いくつの世界を同時に感じることができるか。

ヒトは暮らしを営む時、通常1つの世界の参加者となっている。そして、その世界に参加していない者については、世界の外側に追いやっている。

でも、ふと頭の上を見上げた時、シジュウカラがカラスに追われて命の攻防を繰り広げていることに気づくと、自分の頭上ではそれが日常であったのだということに気づいたりする。また、靴紐を結ぼうと屈んで、足元でアリの兵隊が何か大層な作戦を実行しているさなかだと気づいた時、そこに彼らの日常があることに気づく。さらには、ガラス窓に映る自分の姿を見ていると、自分の姿の向こう側に違う世界に住む住人がいることに気づいて驚いたりする。だけど、そんな頭上の世界も、足下の世界も、ガラスの向こうの世界も、しばらくすると消えてなくなり、また、1つの世界の住民に戻っていく。

このような多層な世界を同時に感じ取るには、世界を断片として見る必要がある。町に出て、町をパーツに分けて観察する。すると、それまで1つの世界として捉えていた空間が偽装空間であり、実際には大小様々な世界の集合体であることに気づくはずだ。では、世界を断片として見るにはどうするか。

80mm程度の中望遠レンズを付けたカメラで町を見てみよう。町にとけ込める場所を見つけたら全方向にレンズを向けてみる。すると、ファインダーや液晶モニターには、断片化された世界が映し出される。さらに、それぞれの方向で、ピントを前後に移動させよう。すると、例えば、ただの家の壁面であったものが、実はその奥にあるヒトの生活の舞台装置であることに気づき始める。もしこの作業を行う時に、一抹の「気まずさ」を感じたなら、あなたはすでに多層な世界の住人になっている。ヒトが1つの世界しか知らないように生きるのは、この気まずさを年中感じて暮らさずにすませるためなのだから。

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