降下ばいじん問題解決の糸口が
今日、東海市中央図書館に行き、業界新聞(日刊工業、鉄鋼)を読み、降下ばいじん問題に関する書籍を閲覧、貸し出しを受けました。
書籍名:四日市公害「副題:その教訓と21世紀への課題」
著者 :吉田克己
出版社:柏書房 2002年2月28日
本を借りた目的は日本で発生した公害のシンボルでもあり、科学的な公害対策が行われたのが四日市公害であることが第一の理由です。もう一つの象徴は熊本県水俣市で起きた有機メチル水銀による健康被害です。(こちらは水俣病と称されており、病気ではない。いわば、国家と企業がグルになって引き起こした犯罪です)
水俣病も四日市公害も太平洋戦争に負けて、国土は焦土と化した我が国は連合国(主に米国)から施しを受けながら、復興を果たした。米国は神風特攻隊、各戦地での徹底抗戦や丸腰での突撃、命を無視した攻撃に恐れをなして、憲法で日本人の敢闘精神を骨抜きを実施した。しかし、戦争に関わる技術開発や機器を製造すること以外には米国は寛大であった。経済的自立で独立国家の体面を復活させるために環境を無視した工業化の推進が様々な公害を産み出した。米国の広大な国土であれば多少の有害物をまき散らしても国民に健康被害を与える心配がないが、国土の70%近くが山地であるが国はそうはいかなかった。レイチェル・カーソン氏が指摘したようにあの広い国土を有する米国でも農薬の無制限な散布は人間はおろか動植物に影響を及ぼした。四日市の対策では煙突の高さを高めることを実施したが、排出量(濃度も)を抑制しないと有害物を四日市の外にばら撒くだけと気付くも経済的損失に負けていた。第一次石油危機が重油などの削減を強制したことが硫黄酸化物の排出量そのものを削減するドライバーになった。硫黄酸化物等の汚染物質で健康被害を生じた患者への治療費などを賄うために設立されたSOx賦課金の重圧から逃れるために、企業は脱硫装置を積極的に設置した。四日市コンビナートに数多くの脱硫装置が設置されて、脱硫装置銀座の感ありでした。脱硫装置の副産物である石膏はS分を閉じ込めるとともに建材として利用されていった。
一方、窒素酸化物は有効な手立てが見つからず、その削減率は高止まりを続けている。私は1975年鉄鋼連盟の自家用発電ボイラーの窒素酸化物対策を名古屋製鉄所で実験するメンバーの一員になった。重油に蒸気を混合して燃焼させる、いわゆるエマルジョン燃焼実験を手伝ったが失敗した。重油バーナーの配置変更試験を行い、設備改造をするも効果は限定的でした。運転データを詳細に分析するとBFGを2万㎥N/Hr・缶を維持すれば、全く問題ないことをに気付いて、新運転方案としました。窒素酸化物濃度基準を超過すると運転員が処分される直罰制度を回避する運転が可能になった。設備投資はゼロ円で済みました。
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