『プリンシピルのない日本』を読み返して
この本は白州次郎氏が1958年頃の日本の政治、経済、マスコミ、学問のプロに呈した痛撃な遺言ともいえる書です。何度読み返しても新たな発見があります。プリンシピルを日本語訳に相応しい言葉がなく、強いて言えば「原理・原則」となります。
GHQの若手職員が理想郷を日本において実現させる意図をもって制定した日本国憲法はサンフランシスコ講和が成立し、GHQが撤退したら、即改正すべきだったと述べています。そもそも日本を米国の属国としていたマッカーサー元帥は軍隊の必要性を認めず、朝鮮動乱のドサクサに紛れて自衛隊の前身を吉田内閣に強要した。その時の苦しみを「のど元過ぎれば熱さ忘れる」とばかりに憲法解釈でうやむやにした。永久中立国であったスイスは軍隊を持たないと私達は教えられたが、実は全国民は兵であり、多くの軍備をしていた。その事実を国民に知らせることなく第9条の可否を国民に問うこともせず。正しく「依(由)らしむべし、知らしむべからず」を地で行く愚行でした。同書の234ページに「新憲法は押しつけ」と言う一節があり、自民党はもっと早くに憲法改正に踏み切るべきであった。悪法と言えど、慣れしたしむと容易に変えることが出来なくなるのは人の為せるわざです。
同書116ページに借り物「男女同権」と言う一節あり。確かレディーファーストの精神は男女同権と言うより、女は弱い者だから男が守ってやるべきと言うものです。今もって女性大統領が誕生していない。
米国は上下二院の良い点を日本に持ち込んだが現在の米国議会の状況を見ると二院制の弊害が出ているように思える。我が国も社会党と共産党が力を持っている時に与党vs野党の構図が生きている間は互いをけん制できた。社会党が弱体化し、国民が政治に無関心になった段階で二院制は夢幻と化した。