人間は進化しているのか? それとも退化しているのか?

人間は4大文明(チグリス・ユーフラテス川、黄河、インダス川、ナイル河)から営々と原始文明から現代文明へと進化を遂げて来たはずだが、①ロシアによるウクライナ侵攻、②イスラエルによるガザ攻撃と人道無視の争いがおさまらない。キリスト教もイスラム教も仏教も人が人を殺すことを許さず、特に仏教はすべての生き物を殺さずと謳っている。現実は宗教対立で大量殺人が行われているのも現実です。人間がバベルの塔を築き始めると神は言葉の乱れを与えて、言葉での争いを鎮める手段を奪ってしまった。仲間内で争いを鎮める合意ができても、他の集団との合意形成ができずに争いが再燃することになる。力の弱い鳥は他の鳥と協力して強い鳥の接近を教え合うことをある学者が見つけ出した。そんな高等な研究をしている人間は相手に築かれない技術を開発して、相手の寝こみを襲うを道具の開発に勤しんでいる。鳥と人間のどちらが優れていると言えるのだろうか?

NPO食品安全グローバルネットワークの講演を聞いて

「だいじょうぶ? 人工甘味料②」と言う講演会で紅麹原料サプリメントの健康被害についても解説を受けた。
NHK大河ドラマの「光る君へ」は平安期の時代設定で、人は甘味料を口にすることは稀有なことであった。時代は移り、サトウキビ等から得る甘味料(砂糖等)を日常的な食事には使えなかった。戦後、サッカリンやズルチンと言った人工甘味料が流行するも健康被害が目立ったので、化学合成技術で対抗した。グローバルネットの講演会では甘味料や着色料や保存剤と言った合成品のことが話題になり、合成材の開発が激化しているためか、理解不能なくらいの数の合成材が出てくる。合成材を作っている人はどれが安全なのか、どの程度の使用は許容されるのかを知らずに世の中に送り出している感ありです。
このような時代の中で天寿を全うできることは奇跡なのだろうか??
新しい合成材を作り、その不具合を見つけては新たな合成材を産み出すさまは『賽の河原の石積み』と言えないだろうか?
ウクライナの建物が破壊されて、侵攻が終われば、また建築を始めるだろう。建設⇒破壊⇒建設の見果てぬ循環は進化していると言えるのだろうか???

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