敗戦(終戦)記念日が近づいて、新たな事実が

今日の報道特集では米国は原子爆弾を投下する前にその威力や着弾精度を確かめるべく模擬弾(破壊力は強烈です)を50ヶ所近く投下していたと。皇居や広島や小倉や長崎は避けるように大統領指令が出されていた。目的は原爆投下で得られる効果や日本軍部を油断させる意図があったと、米国側の機密文書で明らかになった。しかし、爆撃機の機長の一人が皇居に模擬弾を投下する心算でした。最後は皇居を視認しないままに模擬弾を投下し、東京駅近くに着弾した。模擬弾の威力は相当強力であり、50ヶ所も投下される前に無条件降伏を受け入れなかったのか? 東京駅近くの投下で理解すべきではなかったか? また、長崎投下の後、3発目、4発目の原爆投下の準備が出来ており、ポツダム宣言受諾が1日でも遅れたら、被害が拡大していたでしょう。その時は皇居や北九州市(当時、小倉や八幡)も対象になったはずです。
特攻隊の件も上級者は「志願者がいたからであり、命令はしていない」と逃げ口上を繰り返す。下級者は「その場の雰囲気で志願(死願)せざるを得なかった」と命令ありきの証言を残している。
硫黄島は米軍に占拠され、施政下に長く置 かれ、返還後は自衛隊が駐屯しているため、元島民は日帰り墓参しか出来ていない。元島民やその家系に繋がる人は「何故、返還しない。数日間宿泊して墓参をしたい」と願っているが自民党は放置しているのは何故?
ロシアが実効支配している北方4島は止む得ないとしても硫黄島は日本の施政下にある。
ドミニカ共和国は日本人移民(移植)者の家族に2000万円の補償金を支払って、土地の支給は止めると言う英断を下した。


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