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ミーゼス・ワイヤー:見落とされているカール・メンガーの進化の重要な洞察(2024.4.09)


訳者によるまえがきと解説

a 今週はミーゼス・ワイヤー、2024年4月9日のホルヘ・ベサダによる「見落とされているカール・メンガーの進化の重要な洞察(Carl Menger's Overlooked Vital Evolutionary Insights」である。

原文は、以下を参照されたい。


b カール・メンガーは、言わずと知れたオーストリア学派の祖であるが、『ミーゼス回顧録』や『オーストリア学派の歴史的背景』などのミーゼスによる回顧によると、「オーストリア学派=カール・メンガー」であり、学派というほど組織立てられたものではなかったという。有名なシュモラー率いるドイツ歴史学派との「方法論論争(Methodenstreit)」も、メンガー一人で受けて立っている感があった。一方、シュモラーはドイツ歴史学派(新歴史学派)の領袖として、1872年に社会政策学会(Verein für Sozialpolitik)を創設して、これを組織立てていたのである。

c 今日の経済史における方法論論争の意義については、極めて等閑にされていると見做さざるを得ない。方法論論争においてメンガーとシュモラーは、社会科学研究の方法論、すなわち、経済を研究するにどのような推論方法を用いるべきかを論争した。これを一言で言ってしまえば、『演繹か、それとも帰納か』である。

d ちなみにミーゼスは、この方法論論争の争点に関して異なる考えを持っていた。ミーゼスは「オーストリア学派の歴史的背景」において、方法論論争の争点について、歴史学以外に人間の行為について取り扱う科学が存在するのか、ということにあったと言っている。

e 演繹と帰納について触れておきたい。演繹とは、大きな一つの大前提から結論を推論することである。演繹は、大前提となる公理が真ならば、前提となる命題も真であるし、結論もまた真になる。演繹の欠点は、大前提となる公理が誤っていた場合、前提となる命題、結論も誤ってしまうことである。

f 帰納とは、個々の具体的な事例から結論を推論することである。帰納では、具体的な事例から結論を推論していくので、一見すると簡単に見える。しかし、事例そのものや事例の計測に欠陥があると、結論を導きだせなかったり、偶然に共通していた要素を普遍的であると思い込んで結論付けたりすることがある。

g 帰納による推論は、経済学をはじめとした社会科学一般において広く用いられている。ドイツ歴史学派やアメリカ制度学派の過去の歴史的事実に基づく推論、ローザンヌ学派やネオ・ケインジアンなどの数理モデルを使用した推論は、その一つの例なのである。

h メンガーとシュモラーの論争である方法論論争を振り返ることは、オーストリア学派経済学の方法論的特徴について、理解する助けになる。逆に、この方法論を理解できないと、オーストリア学派、特にミーゼスの理論を理解することはできない。

i ある経済学史の入門書(あえてタイトルは挙げない)において、著者は、オーストリア学派経済学について理解しないままに、オーストリア学派経済学について解説していた。著者が参考にしたであろう文献には、ミーゼスの著書は一冊も含まれておらず、唯一、ミーゼスに関連している文献として、ドン・ラヴォアの「社会主義経済計算論争再考(Rivalry and central planning: the socialist calculation debate reconsidered)」が挙げられているのみであった(ドン・ラヴォアは、オーストリア学派に属する経済学者である)。オーストリア学派経済学が主流派経済学とは異なる認識と方法論を持っていることを理解していない経済学者が現実に存在するということは、さほど驚くことではない。

[見落とされているカール・メンガーの進化の重要な洞察]


ホルヘ・ベサダ

1 カール・メンガーは、ウィリアム・スタンリー・ジェヴォンズやレオン・ワルラスとともに、いわゆる限界主義革命を主導した経済学者の一人として広く知られている。 メンガーによる貢献は他にも2つあり、比較的過小評価されているが、例えば、人類がなぜ経済的無知と部族主義的戦争擁護政策に迷い込んだままなのかなど、社会経済秩序を理解する上で不可欠なものである。

2 それは第一に、経済や社会秩序とその発生-進化を研究する適切な方法や方法についての洞察であり、そして第二に、貨幣の進化と、貨幣のおかげでさらに出現する社会経済秩序全体を説明するための、そのような知恵の応用である。 この2つについて、さらに詳しく説明しよう。

3 メンガーは、社会科学を研究するための適切な方法を論じるために、一冊の本、すなわち『社会科学、特に経済学の方法に関する研究(Untersuchungen über die Methode der Socialwissenschaften, under der politischen Ökonomie insbesondere)』を書き上げた。 では、メンガーによれば、私たちは社会科学をどのように研究すべきなのだろうか? 彼はこう書いている、

3-1 自然の生物は、よく観察すると、ほとんど例外なく、すべての部分が全体に対して実に見事な機能性を発揮している。 同様に、多くの社会制度においても、全体に対する機能性が際立って明白であることを観察することができる。 しかし、よく考えてみると、このような機能性は、この目的を目指した意図の結果、すなわち、社会の構成員の合意の結果や、積極的な立法の結果であるとはまだ証明されていない。 また、その機能性は人間の計算の結果ではなく、自然のプロセスによるものなのである。これらもまた、(ある意味において)「自然の」産物として、歴史的発展の意図せざる結果として私たちに提示される。 例えば、貨幣という現象について考えてみればよい。貨幣という制度は、非常に大きな規模で社会の福祉に役立っているが、ほとんどの国では、社会制度としての確立を目指した合意の結果でも、積極的な立法の結果でもなく、歴史的発展の意図せざる産物である。 法律や言語、市場の起源、共同体や国家の起源などを考えてみればわかる。 さて、社会現象と自然生物とが、その性質、起源、機能に関して類似性を示すとすれば、この事実が、社会科学一般、とりわけ経済学の分野における研究方法に影響を及ぼさないわけがないことは、すぐに明らかとなる…国家、社会、経済などを有機体として、あるいはそれらに類似した構造体として考えるなら、社会現象の領域でも、有機的自然の領域でたどったのと同様の研究の方向性をたどるという考え方が容易に浮かび上がる。 上記の類推は、物理学的・有機的世界の領域における理論的研究の成果であるものに類似した理論的社会科学のアイデア、国家、社会、経済などの「社会的有機体」の解剖学と生理学の構想へとつながる。

4 メンガーもまた、彼と同時代に活躍し、1800年代後半に最も有名で影響力のあった知識人であるハーバート・スペンサーと同様に、社会秩序は「社会的有機体」に似ており、生物学的秩序を研究する方法と同様に、有機的あるいは進化的アプローチを用いて研究されるべきであると考えていた。 メンガーは、数学のような物理科学(物理科学は自然科学の一分野で生命科学と対をなす)の手法は、生物学的な手法と同様に、社会秩序の途方もない複雑さと進化を理解するためには不適切であると考えたのである。メンガーは、 「私は科学を扱う方法として数学的方法を信奉する者ではない。 数学は…経済研究のための方法ではない」と書いている。

5 ルートヴィヒ・フォン・ミーゼスやフリードリヒ・ハイエクも、もちろんそれに倣った。 ミーゼスは、「経済科学の根底(Ultimate Foundation of Economic Science)」において、「経済分析の方法としての計量経済学は、経済的現実の問題の解明に何の貢献もしない、数字を使った幼稚な遊びである」と書いている。

6 ハイエクは、 「数学を多用することは、数学教育をまったく受けていない政治家をいつも感心させなければならないし、実際にはプロの経済学者の間で行われているマジックの実践に最も近いものである」と揶揄している。

7 次の例えは、メンガーの重要な洞察をさらに理解するのに役立つ。

8 ちょうど、人体という有機体と、それを調整する呼吸器系、神経系、消化器系といった数多くの「システム」が、約70兆個もの人間や細菌の細胞の作用の結果であるように、意識的な計画や設計の結果ではないことは明らかだ。 ダーウィンと遺伝学の現代的な理解のおかげで、自然淘汰がこのようなシステムや複雑な秩序の不注意な「設計者」であったという仮説を立てることができる。 現代の世界的な社会経済秩序、つまり「社会的有機体」も、メンガーの知的子孫であるルートヴィヒ・フォン・ミーゼスや彼の偉大な弟子である1974年のノーベル経済学賞受賞者フリードリヒ・ハイエクが「市場プロセス」と呼んだシステムによって調整されている。市場プロセスは、貨幣、価格、経済競争、金利、そしてそれを支える法的・関係的・政府的枠組みといった「部品」で構成されている。 しかし、人間の行為の結果は、「この目的を目指した意図の結果であるとは証明されないが......歴史的発展の意図せざる産物である」のであり、多細胞生命を調整するシステムを生み出すために細胞がどのように不注意かつ無意識に行動したかに似ている。

9 以上のような考え方や「方法」によって、メンガーは、社会科学において間違いなく最も重要な洞察、あるいは私が「フラックス・キャパシタ」と呼びたい考え方をすることができたのである。メンガーは、貨幣の進化とその数々の影響について説明したのである。 私有財産の伝統から、地球上の誰とでも私有財産を取引する自由が生まれ、その結果、人類はグローバルなスーパーコンピューターに変貌する。そこでは、人々が自ら創設した私企業を通じて、互いに(競争相手となる)革新し、学び合う意欲が生まれ、その結果、優れた情報とそれに続く秩序を発見し、世界中に広めるために意識することなく協力することになる。

訳註:フラックス・キャパシタflux-capacitorとは、映画バック・トゥ・ザ・フューチャーに登場する次元転移装置のこと。フラックスは変化、キャパシタは蓄電器、ためるという意味がある。合目的的に行為する人間が、意識することなく協力しているさまを表している。

10 この文明創造メカニズムを可能にするのが貨幣である。 個人であれ企業であれ、あらゆる社会秩序の主体は、富の生産と消費の絶え間ないサイクルの中にある。 企業の売上高や労働者の給与は、どれだけの富が生産されたかの推定値であり、コストは生産が行われる間にどれだけの富が消費されたかの推定値である。 生産(売上)が消費(コスト)を上回れば、その秩序は利益を上げ、富の経済的パイを増やしたことになる。

11 何十億もの人々や企業が、利益を生み、パイのオーダーを増やすように行動を命令することができる損益計算を可能にするのは、貨幣である。また、貨幣がなければ、心臓外科医はどのようにして自分のサービスと爪楊枝を交換するのだろうか。文明や「社会的有機体」を創造する上で重要な役割を果たす上記のすべてのものは、最終的には貨幣の使用に依存し、貨幣の使用から生まれる。経済学の学生は、貿易と、拡大し続ける分業や情報のような貿易の重要な利益を生み出すことを可能にする「欲求の二重の一致」問題を克服するのが貨幣であることをすぐに学ぶ。

12 貨幣がなければ、小さな部族のレベル以上の複雑な分業や情報は存在せず、したがって大規模な文明や "社会的有機体 "も存在しない。 貨幣に関するメンガーの重要な洞察は、貨幣が言語と同様、進化したものであり、設計されたイノベーションではないことを示したことである。 貨幣が進化したものであり、設計されたイノベーションではないのだから、損益計算や経済競争のような市場プロセスを構成する他のすべての重要なメカニズムもまた、進化した/設計されていないメカニズムであることを意味する。

13 これは、私たちがいかにしてこの巨大で複雑な世界で生きているかを理解する鍵である。急速に拡大し、激化する労働と情報の分業は、気の遠くなるような複雑なマイクロチップやインターネットなどを生み出している。 しかし、大衆とその政治家たちは経済的に無知なままであり、我々対彼らという構図に自らを隔離し、より致命的な戦争をするためにテクノロジーを利用し、無知なまま社会秩序経済を一元的に計画しようとしている。

14 ハイエクがメンガーの『経済学の基礎』の序文において語っているように、「カール・メンガーのオーストリア学派経済学に関連する上記の洞察やその他のものは、完全かつ全面的にメンガーによるものである」ハイエクはまたこうも言っている、「カール・メンガーの例ほど、すでに十分に発達した科学の本体に革命をもたらし、そうしたことが一般に認められている著者の著作が、ほとんど知られずにいる例はないに違いない」

15 その通り! メンガーに追いつくには時間がない。 ガリレオ、ブルーノ、コペルニクスの神話を打ち砕く重要な思想が広まるには時間がかかった。 私たちは同じような状況にいる。 ホモ・サピエンスが最終的に別の部族主義的な世界戦争、社会主義革命、環境災害、あるいはCOVIDマニア、自虐的な経済封鎖で自滅するかどうかは、すべてメンガーの考えが時間内に影響力のある人々に届くかどうかにかかっているのだ。

ノート:Mises.orgで表明されている見解は、必ずしもミーゼス研究所のものではないことに留意されたい。

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