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どうして大声をあげるのですか?

車いすに座った認知症高齢者が「おお~い」と叫んでいる風景。
病院や施設で働いている人ならすぐにイメージできるでしょう。

あなたならどんな対応をしますか?

すぐに駆けつけ「どうしましたか?」と優しく接する対応。または、目線を合わせず、あたかもその呼びかけに気づかないふりをして去っていく対応もあるでしょう。(後者は悪い例ですよ)

一体、何が正解!認知症ケアに悩める人たちは考えているでしょう。    ケア対応を考える前に、なぜそれが起きているのかを考えるのが基本です。

この記事では認知症高齢者が発する『大声』の意味について解説します。

認知症高齢者の大声の意味 まずは本人に聞いてみよう

悩む人①

どうして認知症高齢者は大声を上げるのでしょうか?

知りたいですよね。すぐに解決できる方法があります。

それは、どうして『大声』を上げているのか、本人に直接聞いてみる方法でです。
大半の人が、なんて乱暴な方法と思われたことでしょう。

その疑問は間違いではないと思います。

それは、頻繁に大声をあげる認知症高齢者は、その理由を明確に説明できる人は少ないからです。

ぼくがそのようなことを言うと、皆さんは「理由なんてないんですよね。だから、僕たちは困っているんです」との声が聞こえてきそうです。

このような考えは、認知症高齢者は大声を上げる意味なんてないとのフィルターを少なからずおもちの人だと思います。

ぼくは行動の意味を明確に説明できる人は少ないと言っているだけであって、説明できないとは言っていません。

実際に、大声を上げている人に、その理由を確認すると「寂しいから」「お尻が痛いんだ」「こうしなきゃ来ないだろう」と返答される方もいます。

理由がわかるとケア方法は、自然と決まってきますよね。簡単ですよね。そのように説明しても、介護者は理由を確認する作業を怠る人がいるのです。介護者の主観で練り上げられた『大声』に対策を立てようとしても、一向に大声が消滅しないのは当然のことでしょう。

大声をあげるのはどうして?疑問を抱く重要性

先ほどは本人に大声の理由を確認することが手っ取り早いと説明しました。ですが、大半の認知症高齢者は、どうして大声をあげているのか説明することも難しいのだと言いました。

そこで、重要になってくるのが『大声』の意味を考えることです。

考えるというのは、認知症高齢者がどうして大声を発しているのかを注意深く観察し推測することです。

例えばです。認知症高齢者が車いすに座っています。彼は周囲をキョロキョロと見渡しています。すると、彼は「おおい~」と大声を上げるのです。介護者は慌てて彼のところにやってきて優しく接するのです。

また、ある時にも、彼は大声を上げます。介護者は慌てて、彼のもとに駆け付け、大声をやめてもらうように彼を優しくなだめるのです。

この例での、『大声』の意味を考えると、介護者がすぐに駆けつけ、優しく接してくれるといった良い結果を求めてのものだと推測できます。

一方で、同じ「大声をあげる」といった行動でも逆の意味をもつことがあります。

こんな例はどうでしょうか!彼はどうしても入浴をしたくありません。入浴を誘ってくる介護者に大声で威嚇しました。すると、介護者は去っていくことがわかりました。彼は嫌いな人がやってくると大声をあげるようになりました。

この例では、嫌いな人や嫌なことを避けるための大声でした。その大声を上げることで良い結果が得られたということになります。

大声一つとっても意味合いが違ってくる。

同じ「大声」という行動でも、一方は人のかかわりを得るための行動であり、他方は人とのかかわりを避けるための行動であり、もっている意味が真逆であるといえます。

一見するとやみくもに『大声』をあげているような行為でも、入念に観察することで意味あいが違うことに気づけます。
 

介護者はここで気づいてくれるでしょう。

『大声』の意味が違うということは、支援方法も違ってくるということです。

行動の意味を考えたケアが、結局は認知症高齢者と介護者ともにwin&win

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かかわりを求めて大声を出している人に、大声をあげた直後だけ駆け寄り、優しくなだめるといったかかわりをとっていると、このBPSDは繰り返されることになります。

行動のもつ意味を取り間違えるとBPSDは消失するどころか、かえって悪化するのはこのためです。


医療や福祉関係者は日々忙しく働いています。その現実は変えようのないものだと思います。どうしてもふと立ち止まり、認知症高齢者の行動を観察したり、推測したりする時間がとれにくいのだと考えます。

しかし、取れにくいから、行動の意味を考えず、おろそかにしてもよいのでしょうか?


あえて言います。

認知症ケアは、長年経験を積めば獲得できるというものではありません。

経験だけを頼りにする人は、ある時点で上達は止まるでしょう。そして、経験にこだわると我流になると思います。

その我流が厄介です。

以前の経験からケアを絞り出し、同じようなケースに同じようなケアをしてしまう可能性があるからです。

さらに、、、

限られた経験の中の、限られた観察の中では、いくら検討しても解決の糸口さえ見いだせないのです。
 

認知症高齢者に関わる関係者は、速攻性のある認知症ケアに価値を見出そうとすることがあります。しかし、そんな魔法のようなケアはないということを認識しなければいけません。
 

「大声」に対してはこのケアが良いという決まった対応策はなく。同じ大声というBPSDでも、もっている意味や原因に応じたケアがもっとも解決の近道です。 

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