大怪獣のあとしまつ 感想

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怪獣との闘いそのものではなく、死んだ怪獣の死体処理というこれまであまり無かった設定を描いた本作。
映画前半では突如謎の光に包まれ絶命した怪獣の死体処理についての政府の様子がコメディ調で描かれる。事前情報から『シン・ゴジラ』のような硬派なポリティカル・フィクションを期待していたので突然の気の抜けたような展開に面食らってしまうものの、緊急事態にもかかわらず緊張感が見られない会議、死体処理をめぐる各大臣の責任の擦り付け合い、死体の腐敗により発せられるガスの臭いや怪獣の命名についての国民感情を逆なでするような会見など、我々が現実の政府に対して抱く感情をくすぐるようなシーンの連続に、怒っていいのか笑っていいのか戸惑いながらもついつい笑いが込み上げてしまった。
監督・脚本は『時効警察』や『音量を上げろタコ!なに歌ってんのか全然わかんねぇんだよ!!』の三木聡。独特のテンポや間、ブラックユーモアを交えたシュールなギャグが持ち味で自身の作家性を本作の特殊な設定とうまく組み合わせ、これまでも様々な怪獣映画が描いてきた社会風刺を描いている。

お粗末な政府関係者が中心に描かれていた前半とは変わり、後半では事態を解決しようとする市民側の登場人物たちがヒーローとして描かれる。
主人公の帯刀アラタ(山田涼介)は死体処理を任された特務隊の隊員。隊内での信頼も厚く、身を挺して作戦を完遂しようとする責任感を持つなど、理想的なヒーローとして描かれる。所謂〝現場〟の人間で、国防軍主導の凍結作戦をめぐり大臣たちと衝突するなど反政府的な視点も持っており、首相直轄の特務隊に属しながらも市民側の人間といえる。
また、ベントを用いた腐敗ガス処理の作戦を提案した町工場社長の八見雲登(松重豊)や、同じくガス処理のためダムを決壊させる作戦を実行したブルースこと青島涼(オダギリ・ジョー)などは、ギャグ的なキャラクター造形のため一見政府関係者と同様にふざけていると思われるかもしれないが、自分たちの町を守りたいという理由からアラタに手を貸した彼らもこの作品の後半に描かれているヒーローだ。
特に元特務隊隊員のブルースは一度アラタの誘いを断るものの、いきつけの食堂のサヨコ(二階堂ふみ)の「このままじゃ私たちの居場所なくなっちゃうのかな・・・」という何気ない一言を聞いて作戦に参加するので、もっとも市民の目線で造られたキャラクターだろう。

ブルースの指示通り八見雲の作戦を実行するアラタだが、その奮闘むなしく政府の横槍によって作戦は失敗してしまう。その時、アラタはまるでウルトラマンのような光の巨人へと変身し、怪獣の死体を宇宙の彼方へと運び去る。伏線となるシーンはあったものの少し唐突だと感じなくもないし、はじめからアラタが変身していればすぐに問題は解決していたのは確かだ。だが、ピンチの時に助けに来てくれる姿こそ、子供のころ憧れたヒーローの姿だし、登場人物の行動が報われるその瞬間こそ、映画を観ていて感動する瞬間の一つだ。本作のラストは私たちが特撮映画やヒーロー映画に求める根源的な感動を与えてくれるように思う。

最後にこの映画を観て思い浮かんだ曲の歌詞をご紹介します。

ギリギリまで がんばって
ギリギリまで ふんばって
どうにもこうにも
どうにもならない そんな時
ウルトラマンが欲しい

ウルトラマンガイア OP 「ウルトラマンガイア!」より

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