夏のおわりと秋のはじまり
はじまりがあれば、おわりもある。
そんな当たり前のことをしばらく忘れていた。
正確には「見て見ぬふり」をしていた。
それに気づいてしまった夏のおわり。
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今年の7月に10年の社会人生活から距離を置き、人生の夏休みが始まった。
その決断ができたのはコルクラボというコミュニティに居場所を見出すことができたからだ。
と、思っていた。
5月に入会しフライング気味に参加した定例会では同期3人が顔を合わせた。正直、関係性の出来上がっている先輩たちの輪に入るのはかなり勇気がいることで、当時のわたしはよく頑張ったと思う。現状を変えたい想いが強かったんだろうなあ。緊張の初回はあまり覚えていない笑
フライング組は仲良くなり、懇親会の幹事をしたり他の50人くらいの同期がどうしたらもっと馴染めるかな?と考える仲間になっていった。こうした出番があることで自然と顔馴染みも増える。気づけば顔と名前が一致するメンバーが増えていって、あんなに緊張していた定例会にもすんなり行けるようになった。
だから精神科の初診を定例会がある日に合わせた。「どんな診断をされても今日ならラボのみんなに会える、感じた気持ちを受けとめてもらえる」そう思って。実際、当時話すことができた少人数のメンバーはあたたかく受けとめてくれた。本当にありがとう。
病気の症状が悪化して定例会やラボのイベントに行けない日が続いても変わらずあたたかい場所がそこにはあった。
そして、だいすきなメンバーの卒業を、昨日、知った。
初めて話してからまだ2ヶ月だけどお兄ちゃん的な存在で安心感が半端なくて。わたしは苦手な電車移動を1時間30分耐えてまで3回も遊びに行ったし、失業についてたくさん相談に乗ってもらった。
別に会えなくなるわけではない。電車に乗ればいつでも会いに行けるんだけど、新しい挑戦のために一つの決断をした彼の強さに少し嫉妬した。一夜明けたら寂しさが込み上げてきてこっそり泣いた。
同時に、わたしはそうやって一部のメンバーに依存していたことにも気づいた。寂しくて?理解して欲しくて?一緒にいると楽だから?なぜだかわからなくて混乱した。自分の感情や考えることを放棄して甘えすぎていたかもしれない。
居場所を見つけたつもりが、いつの間にか依存になっていたと気づいてもう正直、自分がわからなくなってしまった。
だから、これからはきちんと自分の思いを言葉にして、どこかに残していきたい。もっともっと誰かと話して、自分の本当の思いに気づいていきたい。
まだ作り途中のこの本にも、きっと何かヒントがあるはず。
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うつ病の診断をされたときにはあんなに人と関わるのが怖かったのに、今はこんなにも人に関わりたいと思っています。それがすごく不思議であたたかい。
これまで休むことを徹底してきたけど、それは終わりにしてリズムを作ることを始めます。9月末までが人生の夏休み、10月からは秋休みと言うことで。
おわりと、はじまり。
全てのおわりとはじまりを迎える人へ、幸あれ。
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