さよなら 「君」の声を抱いて歩いていく

スピッツのオンラインライブ「猫ちぐらの夕べ」ようやっと観ました。
:映画『スピッツ コンサート 2020 “猫ちぐらの夕べ”』オンライン上映
https://sp.spimo.net/2020concert/online_top.php

昨年11月に行われた有観客ライブを収録、後日配信されたライブはゆったりとした曲が多く、それは必要以上に観客を煽らない配慮に基づいた選曲かもしれないけれど、結果、現在のどうしても不安を抱えてしまう状況を癒すような時間を形成していた。
何度となく有観客でライブができた喜びを口にし、時折潤ませたように見えた4人の瞳。キャリア30年のベテランですらあの時期はアイデンティティが揺らいだんだろうな…と、あまり語られないあの時期のアーティスト側の精神状態が垣間見えた。

中盤の「猫ちぐら」から「楓」でぼろぼろと泣きながら観ていた。元々好きな曲、思い入れある曲ではあるけれど、いたく感情移入する状況があった。

「楓」の歌詞の考察のひとつに「大切な人を失った人間が後追い自殺する内容」があるのは有名な話。作者の草野マサムネさんは肯定も否定もされていませんが、愛しい気持ちはまだそこにあるのにもう同じ場所にいない人のもとを目指すように取れる内容は説得力がある。
歌詞に出てこない「楓」=赤ちゃんの手のひらの隠喩である考察も衝撃的でしたが、いずれにせよ「もう手に入らない在りし日の希望や夢」を歌っている内容と受け止められるし、そういう歌詞だから毎回聴き入ると涙が自然と零れてしまう。

今、私はささやかな夢を諦める決断をした。

20年間暮らした大阪を離れ、生業としてきたデザインの仕事を諦める。あんなに出たがってた故郷と実家に戻る。

死なないために。
孤独死しないために。
死後ひとに迷惑をかけるリスクを減らすために。

大層な夢がある訳じゃなかった。健康でやりたい仕事でお金を得て税金を払い社会生活を営み、友人たちと優しく楽しく日々を過ごしいつか愛する人と結婚し楽しい家庭を築けたらと思ってた。
あれから20年、どれひとつ得られなかった社会不適合者になってしまった。

引きずり降ろされ搾取され痛めつけられるだけの半生、もうさっさと打ち切ったらよかったとここ数年ずっと考えてた。でもどうしても死後迷惑をかけてしまうから、なかなか踏み切れなかった。

故郷に帰ることを視野に入れるも、大阪より求人状況が悪いのも知っていた。たまたま知った求人に募集したら採用いただいた。10年前どころか半年前ですら応募しようと思わなかった立地と条件。それでもこの年齢で採用してもらえるのは有難いと思わなければいけない。入社1週間切ってもまだ踏ん切りがつかず、いっそ死んで逃げたいと思うのに。
自分を値引いて値引いて、ささやかな夢を諦めてようやく手に入れた安定だけど、その現実を認めたくない。

能力も人脈も世渡りできるしたたかさも気の強さもないなら仕方ない。今の状況と己のスペックで贅沢言うな。尤もだ。
私くらいの夢などたやすく叶えられてる人はいくらでもいる。これくらい実現できず思うように搾取されて逃げてきた自分が悪いのだ。その通りだ。
だから通勤1時間半かかって交通費8000円自分持ちになっても、実質手取り11万でも受け入れなければならないのだ。

わかってる。
それでも認めたくない自分がいるのは事実なのだ。

「さよなら 君の声を抱いて歩いていく」

叶わなかった夢を抱いて歩いていく人生を思い浮かべてグシャグシャな顔で泣いていた。
夢を自分で葬った先にあるのは何だろうか。

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