ブラジルまで何万マイル
ブラジルについた
いやここはブラジルではない。
花岡はお互い監視しては潰しあう
カニをバケツに集めたような日本に嫌気がさして
黙ってこっそりブラジルに行くつもりで
チケットと宿まで手配していたのだが
コロナ騒動に追いつかれてしまい
航空会社にバウチャー(払戻し)するから
キャンセルしてくれと頼まれてしまった。
さっき花岡はそう書いたがブラジルに行くのは
何もそんなネガティブな気持ちではなく
もっといろいろ切実な訳や考えがあって
去年、ピアニストの大前千鶴*1のカルテットと
京都RAGでやったライブの時に
カルロスジョビンの『エルミタージュ』の詩を
訳して彼女の歌の導入で朗読した。
そこにはサンバの始まる水曜日を1年間待つ
労働者の姿が描かれていて
どうも腑に落ちない、納得がいかない気持ちになったからだ
この世の中から屹立している
あの楽園に触れる事ができるなら
わたしは残りの360日くらいは
辛くたって構わない。
というような中身だったと思うが
それはわかる。岸和田のだんじりや
徳島で阿波踊りを待つおっちゃんだってそうだ
SUIKAのようなサウダージ脳のみんなとライブをするとき
そう言った多幸感に触れることは何度もあった
でもリオデジャネイロのカーニバルを入り口とした
その楽園の姿を見ないことには
私も楽園の花に触れ匂いを嗅いで見ないことには
結局、訳した詩がまったく変わらなかったとしても
この詩は訳して詠んだことにならないな、
と花岡はおもってしまったのだ。
話が逸れた。いろいろ訳あって考えがあって
ブラジルに行こうとおもったのだ。
で、行けなくなったのでどうすべえかというところで
いろいろ考えた事を書こうとおもってたのに
筆は変な方に滑り出して、話中の花岡は温泉にすら
まだ着水していないのである。
(続く)
*1
わたしは彼女のことを”太秦のアーマッドジャマル”と呼んでいる。
また、わたしがよくループして使おうとするビブラフォン奏者
Cal Tjaderを「カル・ジェイダー」と読むということを
教えてくれたのが大前千鶴御大。それまではカルタジャと呼んでいた。
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