あなたの作品において、場所とは?

「自分の音楽」と「場所」についての考え

自分の作品リストをざっとみると、そのほとんどがコンサートホールのような箱で演奏されることを前提としたものでした。作品を書く前にどこで誰が演奏するかほぼ決まっているので、それに合わせて書いていった結果です。

ホールで演奏されるとなると、必然的に周りの音が遮断されていることが前提となります。これが大きいですね。私の作品はシーンとした中でないと成り立たない音楽が多いです。それから、小さい箱で近くで聞いた方がよくて大きい箱で遠くで聞くとボヤける作品が多い。

どうして成り立たないのかと考えてみると、フラジャイルだからかな。良く言えば繊細、悪く言えば強度が足りない。脆い。始まりと終わりのある数分間、音にだけ集中してもらってはじめてガッテンしていただけるかどうかの瀬戸際のような音楽、と自己分析してみたけれど果たしてどうなのでしょうか。

以前女性作曲家のコーナーで森下さんから「どこで演奏するのがベストか?」という問いをいただいたのですが、山奥の一軒家とかで天候が良くて涼しくて静かな夜、少人数の観客に対して演奏したいと答えました。香りの良いお茶でもサーブしながら。

余談ですが私のやっているジャワガムランは、屋根と柱はあるけど壁はない半野外で演奏することが多いです。ガムランの古典と自作品とを比べると、やっぱりガムランは構造がとてつもなくしっかりしているんですよね。骨太で、理論的で、数学的で。隣で少しぐらいバイクの音がしようとも、大雨が降っていようとも、ビクともしない。多分バッハも場所を問わない。骨太は場所を選ばない。でも「風情」という意味では場所はとっても重要なんですよね。端唄なども風情があってこそ、味わい深い気がします。

特定の場を想定して作品を書くこと


将来やってみたいと考えていることがあります。私の夫はランドスケープアーキテクトなのですが、彼とともに音楽的な子どものための公園を作ってみたいと思っています。作曲するわけではないけれど、音に対して敏感な目線で公園を作りたい。例えば、踏んだら良い音がする落ち葉の木をたくさん植えるコーナーを作ったり、公園の木の実を使って楽器を作ってそれで遊べるようなアスレチックを作ったり、雨が降ったらステキな音がする池とか。そこでただ遊ぶだけでも気持良いし、公園の楽器(遊具)を使った音楽会をやることもできるような場ができたら良いなと思って、よく家で打ち合わせをしています。死ぬまでに実現できたらという夢です。

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