優しさの搾取について
近日、表題について考えることがあった。
優しさの搾取というと字面があまりにもスピリチュアルまたは病んでるようで気が引けるが、これ以上にあてはまる言葉を思いつかなかった。
私の友人知人は皆、知性に富んでいると日々思う。各々の理性に反する粗野な感情が生まれた時もそれを表に出すことをしない。
おそらく、少なからずそこには優しさと自分に対するプライドがある。自分の中の理性で測り良くないと感じるが、感情的には溢れてしまう怒りや悲しみや欲望による発言や行動を抑えることができる。
そして私の場合、自分がそれをできなかった時は、とても恥ずかしく、悔しく、己の未熟さに傷心してしまう。したがって、どんなにその隠忍自重による心的負担が大きかろうが隠したいと思っている。
冷静で中立的でかつ優しい人間でありたいと思う程に、そうでない人間からの搾取対象から抜け出せなくなる。優しさの搾取であり、積み重なりすぎると、それは徐々に弱々しくなっていく。伐採。
優しいひとにこそ、耐え忍んでいるひとにこそ、感謝とその当人の理性を讃える気持ちで、優しくしなければいけないと感じる。
できるときに返す!
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